都はるみ 魅力のすべて
物心ついた頃、親類の家でレコードでよく聴いていた「想い出のハワイ」。本でレコードジャケットしか見たことのない「涙のバラ」。これまでのベストでは収録されなかったポップス路線の曲が聴けるだけで、このCDの存在価値は高い。代表的なヒット曲は少ないが、故市川昭介氏の作品集としての趣きもある。歌謡曲ファン必携かも。
ユタとふしぎな仲間たち (講談社青い鳥文庫)
「やっぱり、おれが思ってたとおりだ。おめえの心の底には、本物の勇気がある。それは、おめえのオドから受けついだ勇気だ。だけど、おめえはまだそれに気がついていねえ。おめえは自分で自分を意気地なしだと思っているし、人もおめえを、情けねえモヤシだと思っている」
「人間、なんでも、気の持ちようだぜ。自分が乗り物に弱いと思ってるから、すぐ酔っ払っちまうんだ。おめえが、自分に勇気がねえと思ってるから、いつまでも弱虫でいるみてえにな」
―――本書より、“座敷わらし”・ペドロのセリフ
北東北の、温泉のある山間の小さな村を舞台に、タンカーに乗っていた父の事故死を機に都会からその村へ越して来た少年・ユタ(本名=水島勇太)が、害のない妖怪として知られる“座敷わらし”のペドロたちと出会い、彼らとの交流を通して“貧弱な坊や”状態(ブルワーカーの広告か!)から、心身ともに成長してゆく様子が描かれている。「ぼく」の一人称で語られる児童文学―1971(昭和46)年、新潮少年文庫の一冊として刊行―ではあるが、エッセイなどでもおなじみだった作者ならではのおっとりとした語り口のせいか、ユタのモノローグが作者本人の言葉であるように思われる部分などもあり、それがこの作品に、ちょっと奇妙というか、よくいえばユニークな味わいを与えているのだが。ともあれ、ユタに語りかけるペドロのセリフなどには、(読者として想定した)子どもたちに対する「君たちの中には、もっともっと可能性が眠っているはずだ」、というような、時代を超えて胸に響いてくる作者の想いが強く感じられ、もういい年をしたオレ自身も、読んでいて大いに励まされる思いがしたのだった。なお、74年にはNHKでドラマ化(近年DVD化も)。極力、この原作の世界を尊重して映像化した佳作(ただし、終盤の展開は大きく異なる)。
大日本帝国 [DVD]
※家で見る分には途中休憩が自由に出来ますのでお勧めです。
中ほどで<休憩>と字幕がありましたのでジャケットの上映時間を
見なおして心を引き締めた次第です。
様々な戦争映画を見たうえで<総まとめ>感覚でご覧になられれば
よいと思います。アラカルト的に色々な経過が流れますので日時を
知った上で「そうだ、そうだ・・・」と振り返ります。
♪挿入歌が五木ひろしさんの<契り・ちぎり>であるのが懐かしく
ノスタルジックで救われる部分もあります。
出征前の二組(篠田三郎x夏目雅子)学生x結核患者(あおい輝彦x関根恵子)
床屋x出征前夜に祝言の夫婦の現実にあっただろうはずのドラマが感慨深くも
ありました。
夏目雅子さんが現地の娘との二役をされていましたが大きな目で涙を溜めて
戦友と部下への悔恨の情からの刑死を望む彼に生きることを願います。
死んだ目をしたかつての恋人は誠実過ぎるがゆえに今後の幸せを共にするには
悲惨な経験をしすぎました。
帰ると信じて契りを結び、帰る人、帰られぬ人、異国での戦死、病死、餓死、
処刑、刑死など戦争は全てを奪うものでした。
「天皇陛下万歳!」と唱えて米軍に銃殺された一人の兵隊に何十人もの親類縁者が
存在するのですから<御国の為、陛下の為>に捧し命の尊さが実感出来ます。
主人公の丹波哲郎様演じる東條英機閣下だけの話ではなかったですね。
逮捕の当日に胸への拳銃自殺を企てる人間の弱さ、苦しみはご当人しか
分からないものでしょう。
公には東京裁判で11人が絞首刑になったようですが、知らないところで他にも
実行された気もします。
人はいつかは死にます。自分で決められないのなら精いっぱい故人の分まで
生きましょう。
※個人的には終戦前夜に壮絶な死を遂げた【阿南惟幾大臣】がチョイ役だったので
残念でもございます。 <完>
ユタとふしぎな仲間たち (新潮文庫)
「やっぱり、おれが思ってたとおりだ。おめえの心の底には、本物の勇気がある。それは、おめえのオドから受けついだ勇気だ。だけど、おめえはまだそれに気がついていねえ。おめえは自分で自分を意気地なしだと思っているし、人もおめえを、情けねえモヤシだと思っている」
「人間、なんでも、気の持ちようだぜ。自分が乗り物に弱いと思ってるから、すぐ酔っ払っちまうんだ。おめえが、自分に勇気がねえと思ってるから、いつまでも弱虫でいるみてえにな」
―――本書より、“座敷わらし”・ペドロのセリフ
北東北の、温泉のある山間の小さな村を舞台に、タンカーに乗っていた父の事故死を機に都会からその村へ越して来た少年・ユタ(本名=水島勇太)が、害のない妖怪として知られる“座敷わらし”のペドロたちと出会い、彼らとの交流を通して“貧弱な坊や”状態(ブルワーカーの広告か!)から、心身ともに成長してゆく様子が描かれている。「ぼく」の一人称で語られる児童文学―1971(昭和46)年、新潮少年文庫の一冊として刊行―ではあるが、エッセイなどでもおなじみだった作者ならではのおっとりとした語り口のせいか、ユタのモノローグが作者本人の言葉であるように思われる部分などもあり、それがこの作品に、ちょっと奇妙というか、よくいえばユニークな味わいを与えているのだが。ともあれ、ユタに語りかけるペドロのセリフなどには、(読者として想定した)子どもたちに対する「君たちの中には、もっともっと可能性が眠っているはずだ」、というような、時代を超えて胸に響いてくる作者の想いが強く感じられ、もういい年をしたオレ自身も、読んでいて大いに励まされる思いがしたのだった。なお、74年にはNHKでドラマ化(近年DVD化も)。極力、この原作の世界を尊重して映像化した佳作(ただし、終盤の展開は大きく異なる)。