バッハ:音楽の捧げもの
以前からバッハに親しんできた方にしたら、この盤は基本中の基本みたいなものなんでしょう。
私の場合、「音楽の捧げもの」自体このリヒター盤が初物でした。
そんな状態で言うのもなんですが、この曲凄いですね!
冒頭の「3声のリチェルカーレ」の大王の主題に耳を奪われました…。そして心も奪われた…。
何て見事な主題なんでしょう。
この主題が最後まで効力を発揮しており、あっという間に最後まで突き進む様は、良く作られたポップソングばりに聴き手を捕らえて離しません。(勿論、ポップソングとは何の接点も無い訳ですが…)
難点は他の方も書いてられましたが、録音がかなり残念なところです。
ただ、あえてそれでも5つ星という意見には大賛成です。
このテンションの高い演奏は、これまで聴いた試しも無く圧倒されました。
特にトリオソナタの素晴らしさは、形容の仕方が無いと思えるほどの演奏です。
ただ、私の問題はこのリヒター盤しか聴いていないという事でしょうか。
J.S.バッハ マタイ受難曲 BWV244 [DVD]
録音状態も映像の状態も良く、買って損した気分には決してなりませんでしたし、部分部分で何度も視聴するには良いと思いましたが、何度も全体を聴くような種類のDVDではないとも感じました。理由はただ一つ、ソプラノのHelen Donathの歌い方です。過剰で不自然なビブラートが作品を台無しにしていると私は思います。彼女がソロを担当する曲全てが彼女の歌い方で台無しになっています。これは解釈が古い新しいという意味で言っているのではありません。このマタイ受難曲に限って言えば、少なくとも彼女の歌い方は時間という試練を乗り越えられる様な種類の歌い方ではないと思いました。
彼女の当DVDにおける(悪い意味での)頂点はあの有名なソプラノのアリア「愛ゆえに我が救い主は」です。あの素晴らしい曲がこんなに無惨に・・・・ガクッときました・・・。
彼女の「失敗」さえなければ、他のどんなマタイDVDよりも好きな作品です。
カール・リヒター論
大昔、吉田秀和全集に出会った時のような感動が再び起こりました。真摯な姿勢が貫かれた音楽論ですし、カール・リヒター賛歌でもあります。勿論、音楽的な掘り下げが深く、その解釈も文章力も優れているからこそ、読後感もまた格別でした。
広義では音楽評論に入るのでしょうが、実際にバッハの宗教曲を演奏する際の指南書の役割も果たせますし、リヒターの音楽を通して崇高なバッハの音楽の本質に迫ることができる音楽書の性格も持ち合わせています。
なによりリヒターの音楽への探求心と愛情が通奏低音のように全ての文章に流れており、読むだけでロ短調ミサの冒頭の4小節の叫び、マタイ受難曲のコラール、ヨハネ受難曲のエヴァンゲリストの歌唱が聴こえてくるような臨場感に包まれていました。
確かに、筆者自身が44ページで書かれているように、知の巨匠の吉田秀和氏が書かれた名文でバッハの音楽の素晴らしさは見知っています。それゆえ吉田氏の文章の引用も必要になってくるのですが。
圧巻は第2章の「精神性の発語─ミサ曲ロ短調/音楽の捧げもの」で展開されるリヒターの精神性へのアプローチの凄さでしょう。礒山雅氏の一文を引用しながら、野中氏の深い見識に包まれたメッセージが続きます。あのロ短調ミサの演奏を前にして「峻厳な響きに打ちのめされた人」は筆者も当方も同様です。譜例を使用しての説明は的確ですし、説得力のあるものでした。音楽史や音楽論を学ぶ学生の皆さんに是非触れて欲しいアプローチでもありますが。
カンタータの第4番の「十字架」の概念とディースカウの表現はその通りです。グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」とリヒターとの対比もまた興味深い論でした。
筆者の野中裕氏は、早稲田大学第1文学部を卒業後、東京都立高等学校で教鞭をとられるかたわら、ルネサンス・バロック音楽を専門に歌う「合唱団スコラ・カントールム」を主宰されている指揮者でもあります。
当方も多くのバッハの宗教作品を歌ってきました。本書で紹介されているヘルムート・リリング氏や皆川達夫氏の棒で歌った日々を思い起こしています。音楽が文章から伝わってくるのはリヒターの音源を聴いてきただけでなく、野中氏が実際に棒を振り、バッハの作品と向かい合う時間を取られてきたからこそ、ここまで深い解釈に辿り着いたのは自明です。
アーノンクールの功績を認めた上での74ページで書かれているブランデンブルグ協奏曲への評価もまた同感です。リヒターの南米での演奏旅行でのスペイン語が混在した受難曲のエピソード、カラヤン嫌いの宇野功芳の文章の強烈さ、リヒターによるモーツァルトのレクィエムの演奏への言及、ピリオド楽器の支持者からのリヒター評とその変化、など興味をひく内容が続き、実に読み応えがあり勉強になった労作だと評価いたします。
カール・リヒター フォト・アルバムでの13ページの貴重な写真群、詳細な註、15ページにわたるリヒターの略年譜、ディスコグラフィー、索引と丁寧な編集がなされていました。
1981年2月15日にカール・リヒターが54歳の若さで亡くなってから、ちょうど30年目に本書と出会ったのも何かの縁を感じました。バッハの音楽を生涯追い求めたリヒターの精神性の高さを越えるようなバッハ演奏は21世紀の今日まだ聴くことができていません。
本書の章立てをご参考までに掲載します。
第1章 魂の表現者 バッハとリヒター
1 バッハ演奏の“カノン”
2 ミュンヘンのカントール
第2章 バッハ解釈の礎 指揮者として
1 新しい共同体の響き─ミュンヘン・バッハ合唱団
2 「まことに、この人は神の子であった」─マタイ受難曲
3 負のドラマトゥルギー─ヨハネ受難曲
4 バッハが志向した楽器─ミュンヘン・バッハ管弦楽団
5 精神性の発語─ミサ曲ロ短調/音楽の捧げもの
6 すべては「カンタータ」のために
第3章 霊感が降りてくるとき 鍵盤楽器奏者として
1 ファンタジーレン─オルガニストの射程
2 音楽思考の構築─ゴルトベルク変奏曲
3 協働する精神、即興の領分
カール・リヒター フォト・アルバム
第4章 演奏解釈の地平 何を、いかに
1 二つの『メサイア』、二つの『マタイ』
2 三つの顔、世界を駆ける
第5章 伝説の向こう側 日本のリヒター受容
1 1969年 伝説の誕生
2 1979年 変貌
第6章 新時代への架け橋
1 リヒター再評価への視座
2 小柄な巨人
バッハ:マタイ受難曲
古楽器による演奏が主体となった近年に録音された、他の指揮者によるマタイを色々聴いてみた。さすがに音は洗練されているものの、何か肝心なところで盛り上がらないという印象をぬぐえなかった。
もちろん古楽器のせいではなく、指揮者の姿勢の問題だろう。
リヒターのマタイは、確かに古い演奏スタイルかもしれないが、劇的な盛り上がりと緊張感、聞き終えたあとの感動において、やはりずば抜けていると思う。
J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲(全6曲) [DVD]
最近は芸術的威光を放つようなカリスマ的指揮者がずいぶんいなくなりました。このリヒターのバッハ演奏は多少の画像や音声が古くても、その芸術的価値はなんら衰えることはない。かつて未熟な古楽器演奏がもてはやされていた頃、リヒターのようなモダン楽器による演奏はもはや古めかしいなどと(どちらが古めかしいのか...)、意味不明な理屈を言う芸術を理解していないような発言もありました。芸術的な演奏は流行廃りのある歌謡曲のようなモノではありません。モダン楽器演奏であろうが、古楽器演奏であろうが、芸術的演奏と、技術的演奏や学術的演奏とはきちんと右脳で区別、判断して演奏、鑑賞して欲しいと思います。そういった点では、このリヒターのバッハ演奏は理屈抜きで最高の芸術的演奏です。