地球を抱いて眠る (小学館文庫)
癒しを求めて読むのは無理な本だと思います。
逆にその癒し自体についてどうしてそうなのか?という
疑問をなげかけているような感じではないでしょうか。
一言で「癒し」と言ってもなかなか難しいところかもしれません。
ネタ感覚で読むには面白いのではないでしょうか。
駒沢あたりで '78年度作品
オリジナルLPは1976年7月25日にテイチク、ブラック・レーベルから発売。加川良6枚目のアルバムです。ベルウッドから出た『アウト・オブ・マインド』で聴いた心地よさがこのアルバムでは全開です。レイジー・ヒップとの競演で、ギターを抱えて唄う良さんの舞台が見えてくるようなアルバムに仕上がっています。標題曲「駒沢あたりで」は、教訓に始まった加川良の歌の世界が、ここまででずいぶん変わったように聞こえて、でも、よ〜く聞くと初めからこうだったんだと気づかされる一曲です。「女の証し」も「オレンジキャラバン」も「祈り」も、全ての曲が優しさに包まれています。しかも、バンドのサウンドもしっかりしていて聴き応え充分です。
一度CD復刻されたものの、品切れ状態が続き永らく入手困難でしたが、テイチクからこのアルバムを含めて3枚が復刻され、(しかもリマスタリングで、)良さんの歌声に再び出合えることになりました。あとはNEWSレーベルから出た『プロポーズ』の復刻が期待されます。あわせて、レイジー・ヒップの復刻も是非。
「駒沢あたりで」のみ作詞・作曲:菊田修一、ほかは全曲:加川良作詞作曲。
レイジー・ヒップ:長田和承:GUITAR
安田直哉:GUITAR
岩本千秋:VOCAL
菱川英一:KEY BOARDS
山本正明:BASS
野口実智男:DRUMS
語るに足る、ささやかな人生 (小学館文庫)
雑誌『SWITCH』の編集者だった著者が、レンタカーでスモールタウンだけに立ち寄って全米を横断した旅行記。
潮流から外れたスモールタウンで小さな物語が日々紡がれていく。
誰もが物語の主人公。
地に足をつけて生き、そしてそこで死んでいく人たちの日常を、感傷に浸りすぎず鮮やかに切り取っている。
共和党と民主党、都心と郊外、ブッシュと中東とオイル、スピルバーグ、マイケル・ムーア……。
勝者と敗者、善人と悪人、という単純な図式でしかアメリカという大国を読めなかったのが、ゆっくりと変わっていく。
かみしめるうちに味が出てくる。
旅行記というより、短編小説を味わったような気持ちになった、という小池昌代の解説以上の言葉はないだろう。
アメリカにわたる前にこの本をそっと渡してくれた友人に、深く感謝する。
教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題)
著者の1人である広田照幸さんは、「あとがき」で、この本が「へそまがり」のすすめのような本だと書いておられます。
乱暴に言うと、世間にあふれている教育問題を、あらゆる角度から疑って見てみよう、ということだという印象を、ぼくは持ちました。
読み始めると、ひたすら世間で当たり前と言われている教育問題には実は偏り存在している、という内容が続いていたので、
個人的には、著者のおふたりによる個人的な見解を最後に期待していました。
もし、「世の中で叫ばれている教育問題は一面的なものでしかない。疑え! 疑うんだ!!」という主張のみで完結していた場合は、
社会科や情報科の教科書における、いわゆるメディアリテラシーで十分だと思っていたので、即、リサイクルに出すつもりだったのです。
ところが読み進めていくと、183ページからはじまる「測定論者の皆さまへ」と題した広田さんの主張や、同じく広田さんの195ページで展開される、
学校評価についての提言など、著者自身の見解もちゃんと示されていました。
さらに、専門家と呼ばれる方々にも実は偏ったことを言っている場合がある、という指摘をされている部分などは意外と新鮮でした。
基本的に教育関係者の方々は、内心はわかりませんが、公には「専門家=プロ」という観念を前提にされている場合が多いと個人的に感じていたからです。
また、伊藤茂樹さんが「ブックガイド」という章の中で、「中身がスカスカの本」、「クズ本」といった言葉を使っておられたのも画期的だと、ぼくは思いました。
教育関係者の本信仰は根強く、マンガや雑誌以外はとにかく中身を疑うことなく多読することを礼讃する、という印象が個人的にあったからです。
情報化時代になって、誰もがこうした「へそまがり」の視点をある程度は持たないと危ないような時代になったという感覚は、ぼくにもあります。
けれど、それをわかりやすく示した本はなかなか見つけにくいと思っていたので、これは良書の内に入れて個人的に問題ないと思いました。
ただ、以下の点が、個人的に少し気になる部分です。
1、「あとがき」でも書かれていますので、自覚されていらっしゃるようですが、くだけた文章が個人的には、ちょっと不自然に感じられました。
普段はこんな文体では書かないのだけれど、若い方や教育問題に関心のない方にもわかってもらえるように、無理をして書いたがゆえに違和感があるような、そんな感覚が最後まで残りました。
2、「すべて信じられない」と投げやりにならないでください、として、情報を区別することの重要性でフォローしておられますが、基本的に疑うことのすすめの本なので、
何を信じればいいのか、ということへのフォローが弱い印象を個人的には受けました。
3、新聞社の立場や意図を読み取るということで、複数の新聞を読むことをすすめておられますが、記者クラブの存在などにはふれられておりません。
また、この過程で、右派・左派などの言葉が出てきますが、そのことの意味についての基本的な説明もありません。
個人的に、ぼくが本書に出てくるような日教組と文科省との関係などを実際に知ったのは、大学に入る前に個人的に勉強した時でした。
ただ単にぼくが無知だったことは認めますし、この本はそういうことを説明する趣旨の本ではないことも理解していますが、本書には26ページなど、
高校生や中学生も読者の対象にしていると思われる記述があります。多分、学校ではあまりふれられない話題かと思われますので、せめて簡単な説明があってもよかったような気がしました。
4、236ページからはじまる文章で、偏りを否定すべきではない、完全に中立な言説はありえない、無色透明な言説だけが尊重される社会は望ましいとはいえないと思う、
という旨を述べておられますが、反面で、108ページの「○○新聞はしょうがねえなー」や234ページで「トンデモ教育論」などと表現されて「嗤(わら)ってやりましょう」とするのは、
ちょっと矛盾するかな……という印象を受けました。
他にも、88ページにおいて、経験論でレポートを書く学生には低い評価しか与えない、という旨の文章がありますが、著者によれば、専門家ですら経験論とはいかなくとも、
偏った言説を展開しているということなので、学生がそうなるのは仕方ないと思います。低い評価はともかく、その後、なぜ低い評価なのかを学生にきちんと説明されたのか、
記述がないので不明ですが、少し気になります。
また、本書の考え方でいくと、本書自体も疑ってかからなければならなくなると思います。最後に「実はこの本も、へそまがりで見てみる必要があるのかもしれません」というような記述があれば、
もっとよかったかな、という印象を個人的に持ちました。
長くなりましたが、これらを差し引いても、現状では良書に入る著書だと思います。
シリーズ本とのことなので、今後このような本が他にも出版され、「へそまがり」の観点を多くの人が持ち、その上でどう生きるかを考えられる時代が来るといいと思います。
長文で失礼しました。言い換えると、それだけ語りたくなるほど、現時点では価値のある本だと思った、ということです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
全日本吹奏楽コンクール2005 大学・職場編
全て金賞団体のみの収録いうことで買ってみました。
結論から言うと演奏は良い演奏ばかりです。特に印象に残ったのは、神奈川大学と駒澤大学、NTT中国吹奏楽クラブの演奏でした。
ただ、このCD。録音が悪い!!
去年までのビクターやソニーの頃は全く感じなかったのですが、この録音は実際の演奏のよさを確実に殺してしまっています。
もちろんこの演奏が収録されたホールにも問題は多々ありますが、ホールのデッドさと録音の相乗効果が実際の演奏のよさを半減させてしまっているのは実に残念。
特に神奈川大学のサロメなどは、指揮者の小澤先生が隅々に張り巡らせる細やかな表現がまるで聞こえてこず、かなり落胆してしまいました。
しかし、駒澤大学はこの録音とホールの悪さにもかかわらず、非常に骨太なサウンドを聞かせてくれているのですが。
このCDで改めて録音の重要性について考えるようになりました。
その点ではおすすめできるCDです。ただ繰り返しますが、演奏自体は良い演奏なので、吹奏楽ファンには十分お勧めできると思います。