シンクロナイズド・ロッカーズ
theピーズがすごく決まっているなと感じました。
ここまで痛快に自分たちの曲のように持ってたのは素晴らしいです。長年一緒にやってきただけはあります。
なにより間奏のアビさんギターが気持ちいいです。
この世の果てまで~アメリカン・グラフティVol.2(ヒットパレード黄金時代)
「この世の果てまで(ブレンダ・リー)」や「渚のデイト(コニー・フランシス)」「ステューピッド・キューピッド(コニー・フランシス)」「ミスター・ベースマン(ジョニー・シンバル)」「明日があるさ(ジョニー・シンバル)」「悲しき足音(スティーヴ・ローレンス)」「悲しきインディアン(ジョニー・プレストン)」「ドミニク(スール・スーリール)」、さらに1920年代のナツメロ「ベイビー・フェイス(ブライアン・ハイランド)」やコニー・フランシスが日本語で歌う「大人になりたい」etc.のオールディーズが目白押し! とても素敵にナツカシイ音盤ですよネ。
バンドスコア the pillows Best Collection (バンド・スコア)
今までスコアを出すことの無かったthe pillowsですが、この度遂に発売されました。
曲目には人それぞれ不満があるでしょうし、譜面はthe pillowsが監修とのことですが、やはり多少不備がある模様です。
しかしやっと公式スコアが出されたこと、これに自分は5つ星を上げたい。
これを皮切りにオリジナルアルバムのスコアも発売されると嬉しいです。
この世の果てまで~ブレンダー・リー・ベスト・セレクション
ブレンダ・リーといえば、「この世の果てまで(エンド・オブ・ザ・ワールド)」の歌声を思い出しますが、この曲は、もともとスキーター・デイヴィスが1963年に歌い、大ヒットした曲のカバーでした。
もっとも日本では、彼女の持ち歌として知られています。
彼女の歌声は、とても甘く、伸びやかで、1度聴いたら忘れられない張りがあります。説得力のある声という感じがします。
同様にトニー・ベネットの歌で有名なスタンダード曲「わが心のサンフランシスコ(I Left My Heart In San Francisco)」も、ブレンダ・リーの歌唱の方も有名で馴染みがありますね。
原曲は、1954年にクララメ・ターナーによって歌われ、その後、多くの歌手によってカバーされました。現在でもよく聴かれますのでスタンダードナンバーの名曲といえるでしょう。
彼女は、1944年にジョージア州のアトランタで生まれ、6歳でデビューし、その頃「ダイナマイト」という曲を歌ったため、「リトル・ミス・ダイナマイト」と呼ばれました。10代で初のビルボード・アルバムチャートNo.1の記録を達成しています。デビュー当時は「ニュー・ジュディー・ガーランド」とも呼ばれたようです。そのくらい少女の頃から歌が上手かったのでしょう。
「モア」「好きにならずにいられない」「この胸のときめきを」「行かないで」「いそしぎ」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」等のスタンダードの名曲を聴いていますと、1960年代の「オールディーズ」には欠かせない歌手で、その歌声は今聴いてもとても魅力的です。