行正り香監修 バッハ for DINNER&DRINK~静かで心穏やかなディナーとお酒に
なじみのある良い曲が、一流の演奏者が奏でているのでお得な一枚。夜のくつろぎタイムや、食事中に聞いています。バッハの曲はシリーズで買うと長いのですが、これはバラエティーに富んでいるので飽きさせません。でも全体として選曲に統一感があるので聞いてて心地よいのがいいです。これを聞いてから、結局グールドの他のバッハや、吉野直子さんのハープを買いました。バッハが大好きな人も、初心者にもオススメです。
月の光、シシリエンヌ・ヴァリエ~ハープ・リサイタル
6年ぶりに新装なったデッカ・ベスト100シリーズから満を持しての、日本を代表するハープ奏者による、ハープの響きの華麗さ・豊かさを心ゆくまで堪能できる傑作の再登場です。タイトルからライヴを連想するかもしれませんが、94年スイスでのスタジオ録音で、音質は文句なく素晴らしい。「月の光」のように元来はピアノの曲もありますが、純粋にハープのために書かれた曲を中心に構成され、ハープの音色で心休まるひとときを過ごしたい人には絶対にお薦めの1枚です。18世紀〜20世紀の3世紀にわたる作曲家の曲を選んだ多彩な構成で、古典の作品が典雅であることはもちろん、20世紀の作曲家の作品も聞きにくさは微塵もなく、思わぬ作曲家や佳曲を発見できることも本作の魅力の一部になっています。入手しやすくなっているこの機会に、是非多くの人にハープならではの奥深い音世界に酔いしれてほしいですね。
バーバー吉野 スペシャル・エディション [DVD]
『かもめ食堂』 で一躍脚光を浴びた荻上直子が、PPF(ぴあフィルムフェスティバル)のスカラーシップで撮った初の長編作。一見何の変哲も無い、むしろ退屈とすら思える日常に意図的にギミックを挟み込み、物語を輝かせる手法はこの時点で確立されていて、やっぱり才能ある監督は違うなと思いながら見た。
ある村の男の子は、みんな同じ床屋で同じ髪型にされ、牧歌的な田園風景の中で“ハレルヤ”を歌う――当初はこの冒頭のイメージありきで、そこから監督は脚本を膨らませていったんだろうと思う。鑑賞する側ものっけから監督のやりたいことを全部見てしまったかのようで、「で、これからどうすんの?」と身構えることになる。
そこからのストーリーもよく描けているが、書き出すとありがちといえばありがちかもしれない。自己完結した田舎の小学校に転校生がやってくる。彼の都会的なルックスと持ち物と価値観は外の世界を知らない少年たちに刺激を与え、これまで抱いていた常識は覆される。やがて少年たちは感化されて、自由を求めて大人たちにささやかな抵抗を試みる。その過程で、子供たちは少しオトナの味を知る。
けれど、それで十分だし、それがいい。なぜなら、そのささやかな抵抗の引き金が「吉野刈りなんて嫌だ!」なんだし、少年たちが対峙しなければならない権威とは、「床屋のおばさん」なのだから。
ということで、やはり、もたいまさこが素晴らしい。
フレームに収まれば佇まいだけで全部持っていってしまうアンタッチャブルな女優だけど、彼女のそんな「卑怯さ」が無かったら、この床屋のおばさんは、何のために続けているのかも分からない因習を子供たちに強いている、強権的で保守的なおばさんに成り下がってしまう。もたいまさこがいるから、この映画の「大人たち」は観客に嫌われることがないし、反抗する「子供たち」もまた、「大人たち」を心底憎むことができない。
FUZZ: THE SOUND THAT REVOLUTIONIZED THE WORLD(ファズ:世界を変えた音)(初回限定1000部) [DVD+BOOK]
タイトルのFUZZに限らず、コンプやワウ・ディレイなどの開発者達のインタビューと、ダイナソーJrやジョンスペンサーなど、GEEkなアーティストのインタビューで構成。
楽器好きにはたまらない内容。
しかし、感動等はないので「マニアックなドキュメンタリー」として消化してください。
メーカーの立場から「ネット上の掲示板論争」や「イーベイでのプレミア取引」への言及など、ロックミュージックだけには括れない話題が注目です。
そしてエレハモの比率が高いのでファンは必見。
フォーレ:レクイエム(1893年版 ネクトゥー、ドゥラージュ編纂)
これまで宗教歌の歌詞を決まり文句のように聞いていたのですが、この演奏では音と歌詞のつながりをしみじみ噛み締めることができました。
たとえば、3曲目のSanctus。
バイオリンソロが際立つ、静謐な合唱です。
だからこそ『Hosannna in excelsis』がなんと高らかに響くことか・・・心から感動しました。
また、フルネは曲の最後をrit.せず消えるように終わるのですが、すばらしい余韻に浸れます。
節度のあるテンポで、過度なダイナミクスのない、ストイックな演奏。
ジャン・フルネのこの曲に対する真摯な態度と、彼に共感し応えようとする演奏者の情熱。
『神』を『音楽』に置き換えれば、ともに高みを目指そうとする姿がまさにこの曲そのままに当てはまるように思います。