復讐するは我にあり (文春文庫)
昭和50年の直木賞受賞作の改訂新版。ずっと気になっていたのだが読む機会のなかった作品だった。
ノンフィクション“ノベル”の金字塔という紹介がされている。しかし読後の感想は、著者のその後の作品を考えればあたり前なのかもしれないが、『たしかに小説なのかもしれないけどこれって殆んどノンフィクションの世界、もっといえば新聞記事の世界だな』というものだった。
なぜなら、この作品において、犯人も含めて登場人物達のいわゆる“心の声”が著者によって綴られることはない。また、物語は事実の記述と場面の展開によって進行し、登場人物同士の“会話”によって進行することはない。
彼等の声は、書き手、あるいはインタビューをしているといってもいいかもしれない著者に対して発せられているように読めてしまう。宮部みゆきの「理由」という作品ははっきりとインタビューという手法で物語が展開するが、この作品にノンフィクションの匂いを感じる人はいないと思う。この作品ははっきりとインタビューという手法をとっていないものの小説の匂いが殆んど感じられない。作家の資質の違いが感じられる。
そして、何人も殺されているにもかかわらず、その殺人の場面を直接描写した頁は存在しない。殺された、という事実が読者に示されるだけである。また、何故殺したのか?何故犯人はこんな人間なってしまったのかという提示も、最後の最後になってあるキーワードが犯人の口から漏れるだけで、具体的に示されるわけではない。
で、この作品がつまらなかったかといえば、まったく逆で、ひじょうにおもしろかったのである。なぜなら、起きている事件は凄惨(ときには滑稽でもあるが逆にそれが怖い)なのに、文章は事実を淡々と伝えるだけなので、行間や登場人物の心理、そして文章の後ろに見える光景を自分自身で想像しながら読むとジワーっと怖さが滲み出てくる感じがしたからだ。
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緒形、三國とかなりの豪華キャストだ。話の内容は悲惨な内容だ。人間の様々な生き様に視点をあてると同時に、残虐な話を見事に映画化している。一方では犯人が大学教授や弁護士に成りすます様には少し疑問を感じるが、どうしようもない主人公像を巧い演技でみることができる。緒形は同様な役柄で「薄化粧」にも出演している。残虐な役柄にここでも好演をみることができ、感激だ。
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1970年以降しばらく監督作品のなかった今村昌平監督が満を持してメガホンを取った本作は、期待にたがわぬ傑作となった。殺人シーンのしつこい残虐な描写や、親子関係や男女関係の濃密な描写もさることながら、久々の今村監督の復帰に華を添えた名優たちのハイレベルの演技が見事。絶頂期の緒方拳、怪優・三国連太郎に加え、小川真由美、倍賞美津子、清川虹子、ミヤコ蝶々などの女優陣の熱演が素晴らしく、脇に回った加藤嘉や殿山泰司なども殺される側で熱演。(加藤嘉のタンス内の死体姿、殿山泰司の必死の抵抗ぶりなど年齢を感じさせない)
前半の殺人を繰り返しながらの逃避行、後半の旅館内に場が限定された中での描写のボルテージの高さは往年の今村監督作品を彷彿させ見事であった。
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いろいろな価値観というものが存在して良い、
とするならば、「納得しがたい異常行動」も
頻発すれば理解を得られる、のかもしれない。
緒方拳演じる主人公の人懐っこいこと、どうだ。
局所、局所で繰り広げられるエピソードは、微笑ましい
美談の連続であるのに、コレがことごとく裏切られていく。
自分を愛してくれる事が憎いのか?、自分に騙される相手
の人の良さが恨めしいのか?
原作が公判に基づいた淡白な記録小説であるのに比し、今村
演出のほうはその常軌を逸した主人公に同情とも愛情ともとれ
る息を吹きかけている。
ほんの少し「私にもそんなところがあるかも」と観客に感じさ
せてしまうところに、今村の狙いがあったのかも知れない。
むかしの面白い邦画をお探しの方に、強くオススメできる傑作。