日経 おとなの OFF (オフ) 2012年 01月号 [雑誌]
今月号は、2012年絶対見逃せない至高の画家として、フェルメールから岡本太郎まで100人?の名画を特集しています。
先ずフェルメール、現存する作品は、37点ですが、その内鑑賞可能なのは、34点です。2012年は、真珠の耳飾りの少女、他6作品が来日します。また、彼の絵はマジックが仕掛けられていて、見る人の想像力を刺激します。次に、レオナルド・ダ・ヴィンチ、彼の描く顔は、誰の顔でもなく、また、誰の顔でもいい。そんな普遍性によって、彼の絵画は、西洋絵画史を代表する名画になりました。そして、セザンヌ、彼の静物画は遠近法を使わず、自分の視覚に忠実に、構図を重視し、視点を複数化して、静物画革命をやってのけました。モダン・アートの中心をパリからニューヨークに移動させる立役者となったジャクソン・ポロック。少し飛んで、中野京子さんさんが日本で見られる怖い絵4点を紹介しています。次いで、ギュスターヴ・モローとG・ルオー、H・マティスを始め、3組の師弟の肖像画を比較しています。
我が国でも人気の高いゴッホとゴーガン、この2人は、一時居食を共にしていましたが、2人の関係は、親友それともライバル?そして、彼等に影響を与えた北斎、広重を筆頭とする浮世絵師達、また、光琳、若冲を始め、江戸期の大物画家も取上げられています。書き漏らしましたが、キリコ、R・マグリット、ムンク等のシュールレアリスムの画家も当然紹介されています。最後に美術館一覧、鼎談まで収録されていて、これ1冊あれば、絵画入門として充分役立つと思います。
そして、付録として、2012年必見の美術展ハンドブックが付いていて、これで美術鑑賞のスケジュールが立てられるようになっています。絵画美術展フアンの方にはお薦めです。
父 岸田劉生 (中公文庫)
本の紹介にも書かれているように、けして娘として私情に囚われず岸田劉生という
人間を父として芸術家として客観的に捉えている文章に好感が持てました。
また劉生自身の幼少から青年期にかけての人生も、劉生の兄弟、知人などの証言を
もとに書かれていますので、劉生の伝記としても読み応えがあると思います。
これだけ有名な芸術家ですから、普通だと家族の方も悪い印象を与えるような証言は
避けると思うのですが、芸術家である以上にひとりの人間としての劉生の「弱さ」、
「業」に娘として目を背けず書ききっているところは本当にすごいと思います。
岸田劉生
劉生自身、及び人間関係について日記や証言をもとに事細かく考察されて
いるのは興味深いのですが肝心の「内なる美」や「卑近美」「デロリの美」
「神秘」など劉生の画業を語るには外せないこれらの諸要素については
ほとんど触れられておらず、劉生の画風の変化、遍歴(あるいはスタイルの変化)
についての文章も、あくまでも劉生の「行動を追った」だけの内容だと感じました。
もともと謎の多い人物、近代日本美術の異端、と言ってしまえばそれまでですが、
劉生は現代の視点から観ても非常に興味深く、むしろ個人的には近代日本美術の
なかでもっとも研究が必要だと思われる芸術家のひとりだと思います。
この本はあくまでも劉生の行動に視点を据えた本だと思いますので
・岸田劉生随筆集 (岩波文庫)
・岸田劉生 内なる美―在るということの神秘 (Art & words)
または岸田劉生 (新潮日本美術文庫)
などの評論や画集をセットで読まれる事をぜひお勧めします☆
岸田劉生―独りゆく画家 (別冊太陽 日本のこころ)
今年(2011年)に生誕120年を迎える岸田劉生の画業とその生涯を多くの作品とともに紹介するムックです。表紙は有名な 『麗子微笑(青果持テル)』で、多く描かれた様々な麗子像によって岸田劉生はこれまで語られてきました。大連旅行から帰国して立寄った徳山において38歳の若さで客死したことも知りませんでしたが、麗子像以外の作品を知る上でよいムックと出会ったと思っています。
本書の内容です。
●「和画」をこころみた先駆者
●誕生(幼少年期)1891(明治24)年6月23日〜
父・岸田'香の存在 新古細句銀座通(昭和8年頃の精'リ水本舗 劉生少年が出会った店) 美の道に突き進む淵源―岸田劉生とキリスト教
●第2の誕生(銀座時代)1907(明治40)年/16歳頃〜
初期の水彩風景画 詩篇と画稿 『白樺』との出会い(柳宗悦と劉生の相似性 武者小路実篤との友情 バーナード・リーチとの親交) 初期の作風 ポスト印象派への傾倒 尖端的画会、ヒュウザン会を発起
●写実への道(代々木・駒沢時代)1913(大正2)年/22歳頃〜
妻・蓁(しげる)の存在 圧倒的な影響力―草土社結成 劉生訪問記 岸田の首狩り 画業の転換期―劉生流、写実への道 宗教画 自画像史。実験的カンヴァスの軌跡(ストーリィー)
●内なる美(鵠沼時代)1917(大正6)年/26歳頃〜
鵠沼に劉生、茅ヶ崎には萬(よろず)―両巨匠(ヒーロー)の湘南磁力 麗子像だけに表現され得た美とは 麗子像の謎。劉生と麗子と麗子像 不滅の少女・麗子 モデル台の上で 家族の肖像 村娘の肖像 劉生の静物画―写実の飛躍 芝居絵 決定的な断層―名古屋への避難、京都へ転居 震災でかなわなかった画室―親交深かった蒐集家・澤田竹治郎とのこと
●東洋への接近(京都・鎌倉時代)1923(大正12)年/32歳頃〜
京都時代の断片―安井巳之吉日記から この男下人也―小出楢重との邂逅 卑近美(でろり) 劉生、内なる東洋美 江賀海鯛(えがかいたい)先生、骨董を漁る 劉生戯画 劉生童画 劉生の装丁 自著自装と犀星、実篤 「愚人」と「天才」、劉生に出会う―恩地孝四郎、村山知義との接点 肖像画家として
●最晩年(大連、徳山)1929(昭和4)年/38歳
最後のモデル 最初で最後の異国風景 絶筆―終焉の地・徳山にて 追悼 ぽつきり逝つた事はかへすがへす惜しく淋しい
●物書き・劉生。美の思索者として生きた 『美乃本體』抜粋 『演劇美論』抜粋 劉生日記抄 岸田劉生略年譜 掲載作品索引