家なき娘〈下〉 (偕成社文庫)
世界名作劇場『ペリーヌ物語』の原作の訳書で、二分冊の下巻である。
まずざっと上巻のあらすじを書こう。
少女ペリーヌは、両親と三人で、祖父ヴュルフランの住むマロクールを目指して
旅をしていた。しかし父はボスニアで亡くなり、母もフランスで亡くなった。
たった一人でマロクールに辿り着いたペリーヌだったが、
祖父は母親と自分をひどく恨んでおり、孫だと言い出すことができなかった。
そこでペリーヌは、祖父の信頼を勝ち得るまでは名乗るまいと心に誓い、
祖父の経営する紡績工場で働くことにする。
ヴュルフランは目が見えず、ずっと一人息子、つまりペリーヌの父親の帰りを
待ち続けていた。わけあって自分で追い出したのだが、彼は息子を愛していたし、
工場の後継ぎは息子の他にないと思っていた。
けれど息子は戻らず、彼の周囲では次期社長の座を狙う者たちが策をめぐらせて
互いを牽制し合っていた。
下巻では、ペリーヌがそんな中に飛び込み、彼らの陰謀を上手くかわしながら、
祖父の側で通訳として働き、少しずつ祖父の信頼を勝ち得ていく様が描かれている。
感想だが、アニメでは初めからペリーヌが孫だとわかっており、
ペリーヌの祖父に対する内面が物語の中枢的に語られるのに対して、
原作では孫であることは最後まで読者に対しても隠されている。
そのため、ペリーヌの内面が見えてこないだけでなく、
彼女の目的すら曖昧なまま物語が進むので、いまいちと言わざる得ない。
あと、小説の展開自体は面白いが、ペリーヌがあまりにも完璧すぎるのも残念。
読者は少々欠点のあるキャラクターの方が感情移入しやすいものだ。
上巻の続きであり、上巻がオススメなのでこれも薦めるが、
下巻単体としては上巻ほどは面白くない。
家なき子レミ (絵本アニメ世界名作劇場)
アニメ化にあたって原作の良さは損なわれました。
このアニメ版を小説化したので納得のいかない箇所も引き継がれました。
アニメおよび小説に共通することですが、
後半に恋を前面に押し出し、何かを隠したという印象は否定できません。
けれどもあとがきの堀江美都子さんの文章は感慨深かったです。
家なき子〈上〉 (偕成社文庫)
家なき子は他にも色々と翻訳がでてますが、この佐藤房吉氏の訳はダントツで一番ですね。
最初の一行目からその世界に引き込まれてしまう。
児童文学の名手エクトール・マローの魅力を十全に表せています。
家なき娘〈上〉 (偕成社文庫)
今30代の方には世界名作劇場「ペリーヌ物語」(1978年放映)の原作といったらいいのかな。
父親の望まぬ結婚をした息子は苦労の末、連れ合いと娘を残して亡くなる。母娘は父親の実家があるフランスへ向かうのですが、その途次で母親も逝き、残された孤児の娘は・・・。ってだけで、おお、どこかで読んだような設定なのですが、ま、そんなのが19世紀末から20世紀初めに多かったってことです。そーゆー過酷な運命にいる子どものピュア性。逆に言えば100年前でも子どものピュア性をリアルに物語として描くには、そーゆー過酷さが必要だったわけですね。
そんな中で、この物語の面白さは、大金持ちのおじいさまのところにまでたどり着きながら、ペリーヌは自分がこの人に愛されると分かるまで身分を隠し、貧乏してがんばるところ。これは死に際しての母親からのアドバイスなんですね。ま、そういう設定にしないと物語は続かないからといってしまえばそれまでなのですが、たとえ肉親でも愛しているとは限らないなんて、結構すごいでしょ。で、そんな状態で女の子がどうサバイブするかが中盤以降、作者の腕の見せ所。となると、ペリーヌは必然的に戦略家・分析家にならざるをえないし、実際そうして生き延びていく。とどめはインド育ち(母親がインド人)であるが故、英語ができ、それをおじいさまに重宝がられ(あ、いうまでもないですが、フランスのお話です)、出世していくところ。まるで情報化社会のお話のようではありませんか。
プラス、ここでは経営者と労働者の関係のありかたが問われていて、労働者の福利厚生にまで言及されます(あまいけどね)。