クレムリン(3) (モーニングKC)
文句なしに愛らしいが、猫好きに対する媚びが少しもない。 ニート大学生(飼い主)に尽くす献身的な猫(関羽×3)がいじらいが 手軽な感動モノに仕立ててなるものかという隠れた気迫を感じる。 テンポの良い絶望と諦めと風刺(3〜4コマに1回オチる)の割に ふと憂鬱になるような「重さ」が異常にない。 そもそも関羽(猫3匹)は個人(猫)として書き分けられていない。 飼い主(キャッツ)の心情表現はオチとしてあるだけだ。 既存のマンガが押し付けて来るメッセージ性やしかけや読者を魅了する為の罠 (感動しろ癒されろ感情移入しろ等)を完全に(意図的に)欠いている。 それは話しかけて来ないコンビニ店員のように心地良く、 あまりの控えめな態度に無償の愛すら感じる。 しかも見過ごされがちだが、こんな一見雑な(AAをデフォルメした)絵で 猫の体自体の可愛らしさを、時折、射抜くような鋭さで表現している。 仕事や将来への不安に疲れた時、ふと「3匹の関羽に囲まれたい…その生産性のかけらもない 懸命な行動を眺めたい…やる気のない顔で応援して欲しい…」という 衝動に駆られる。 情報に振り回されてあらゆるイデオロギーを受け付けない 疲れた人間にオススメです。
クレムリン(6) (モーニング KC)
カラーページの採用により従来品より価格が20円ほど高い。
わずか4ページほどだが、一昔前のエロサイトのような賑やかな色彩世界を堪能できる。
ややブルジョワ的傾向がみられるが、
うまい棒を2本我慢しただけでカラーの関羽(灰色)が楽しめると思えば安いものだ。実際3本分の価値はある。
さっそく問題のカラーページに目をやると、いきなり却津山の腕の長さが左右で違う。
織部焼の美意識に通ずるものもあるが、これは恐らく伝説のクソゲー『デスクリムゾン』へのオマージュであろう。
2重3重の解釈の網が必要とされる深い演出である。
(コミック本の売り場にない場合は哲学書の本棚を探してみると見つかるかもしれない。)
『意図的な作画崩壊』が今回の売りの一つといえる。
却津山の顔がいよいよコマ単位で変化し始めており、カットごとにジェームズボンドの配役が入れ換わる007を観てるような気分にさせられる。
気が狂いそうだ。どうみても256人はいる。作画ではなく私の精神が崩壊しているのだろうか?
(作者本人も却津山がどんな顔のキャラクターなのか知らないのではなかろうか?)
実際他のメンバーも安定した風貌というものを持ち合わせていない。
シリーズ中、作画が安定しているのはアメーバだけである。
本作は、もはや軌道修正が不可能になったストーリー/作画上の矛盾を俯瞰し利用する段階に入ったようだ。
作者も読者も、この世の誰もそんなことは気にしない。
気にすることを忘れるために人はクレムリンを読むのである(ついでにアンケートはがきの投函も忘れる)。
そもそもO-157を抱えた生レバーが玄関から訪問してくるようなストーリーに矛盾やら整合性やらを見出すこと自体無駄である。