菊と刀 (講談社学術文庫)
本書が、あの中国でのデモの前後で2種類の中国語の翻訳で出発されたという。売れ行きも好調らしく、靖国参拝問題などで揺れる日中関係の中で、どのような読まれ方がされているのか、気になる所ではある。
本書の著された年代は1946年、つまり戦争が終わった翌年という事になり、その内容も戦争に関連したものが多く目についた。義理や人情、恥、といった言葉で表現されている当時の日本文化の様子は、現在と全く違うとはいえ、根底にあるものは同じという立場に立つと、優れた日本研究の一つである事は疑い得ない。
しかし、これが現代において読まれ、中国語などに翻訳されて各国で読まれている事も考えると、私は安易に参考に出来ない。所詮、一つの国の文化を一つの書籍にまとめあげるという行為は無理である。文化を言葉にするという事自体無理なのかもしれない。勘違いしてほしくないのは文化人類学とかベネディクトとかの主張を否定しているのではないという事。
あくまで、本書は「戦後または戦前の一定期間における日本文化の一側面」として読まれるべきであり、その域は出てはならないのではないだろうか。
安易に本書を引用・参考にして「日本は恥の文化であるから~」などの主張は絶対に避けるべきである。
そう考えた時に、現代において本書の文化的意義はあまり高くないように思われる。優れてはいるが、文化的意義は低い。一見矛盾しているようではあるが、私はそう感じる。
中国や諸外国で誤った、固定された日本人像が形成されない事を祈る。
定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)
例えば、「日本人」とあなたが言う時、どうした人達を想像するだろうか?
あるいはいま流行りの、「国産」は良い、中国産はパクリ、と言った単純化された論調の言葉を聞いて、あなたは何を「想像」するだろうか?
このグローバルの世界では、中国から来て日本人として日本に溶け込んで生活している者、そしてその逆・・・あるいは、確かに「国産」ではあるが、それは組立だけの事で、原材料は世界各地から取り入れている・・・という事は無数にあるだろう。・・・あるだろう、というより、むしろそれが基本であり、純粋に日本的なもの、とか、中国的なもの、とかエジプト的なもの、とか、そんなものは本当にあるのだろうか?・・・元々、人類は一つだったのが分化して世界に分岐したとは、私も耳で聞きかじっている。もし、そうだとしたら、「純粋な」日本人、とか、ドイツ人、とかいったものは、みんなの言うように本当に考えられるのだろうか・・・?
ベネディクト・アンダーソンのこの書物は、そんなグローバルの世界に現れた重要な書物である。何故なら、私達が先天的命題として考えている「国民」というものが、「想像されたもの」であると喝破したからである。これはコペルニクス的転回と言って良いだろう。私達はまず、定義から始める。日本、日本人、国産・・・・・だが、どうだろうか?それらは、想像ではないだろうか?
だが、にも関わらず、私は「日本的なもの」というものは相変わらず、存在すると考えている。それは永続的な、固定的なものではなく、地域固有の、「想像」ではなく、「創造」されたが故に消滅する可能性のあるものとして考えている。
だが、まあそれはいいが、この書物は我々のそのような固定観念に杭を打ち付ける。日本人だって?・・・じゃあ、日本人とは何だ?日本語を話す人か?日本に住んでいる人の事か?・・・「日本」とは、想像ではないのか?・・・と。
しかし、私の考えでは、ナショナリズムというのは、おそらく個人としてのアイデンティティに関わる。誰もが不安な時代、自分に怯える時代では、誰もが自分に自信を持つ必要性、救われる可能性に目覚め、そして明かりに吸い寄せられるように、自分達を包含している(と考えられている)集団に絶対性を賦与しようと試みるのだ。
ただ私が勉強不足なだけかもしれないが、このようにグルーバルな世界を前提して考えられた学術的提案というものは始めてお目にかかった。この書物は、これだけに終わらず、これからのインターネット時代に先駆けて(そしてますますナショナリズムが流行り始めている世界に向けて)様々な問いを定期している。(例えば、もし国民が想像にすぎないのなら、本当に「日本人」は存在しないのか?・・・それは別の方法で定義づけられないか?・・・あるいは、それは創られる必要があるのか?ないのか?・・など。)そしてその問いに答えなければならないのは、インターネットが常用と化した、「新しいアイデンティティ」を模索する私達若い者達なのだろう。
菊と刀―定訳 (現代教養文庫 A 501)
本書の日本人像は主に戦争捕虜などから洞察されたというが、日本人以上に日本人を知っているのでは、と思わせる。その後日本も大きく変わったが、本書は今でもハッとさせるものが多い。日本人として1度は読んでおきたい一冊だろう。
菊と刀 (光文社古典新訳文庫)
文化人類学者ルース・ベネディクトが書いた「日本」研究の白眉。
「日本人」の気質、行動を浮き彫りにし、欧米諸国との比較によってその特異性を指摘する一方で、その優位性も認めている。
しかし、忠臣蔵や玄洋社などに対する事実誤認やGHQの施策に対する自画自賛とも言える讃美は目に余った。