ラングリッサーIII
PS2版のこのゲームは、単独のシミュレーションRPGとして見るなら
そこそこまともに遊べるレベルには仕上がっている。
今までに旧機種版のラングIIIを遊んだ事がないプレイヤー、あるいは
旧機種版をかじり程度にやっただけであるなら
シミュレーションRPGとしては割と楽しめる方なのではないか。旧機種から変更された幾つかの仕様を見てみるに、移植スタッフは恐らく
ラングリッサーIIIだけはそれなりにプレイしてはいるが
それ以外の、I、II、IV、Vはプレイしていないような印象を受けた。
「そうと割り切れば問題ないが、仕様の変更により
シリーズのお約束から外れた部分はある」からだ。
またそれ以外にも多々変更された箇所があるため、
旧機種版のこのゲームを相当やり込んでいて、細部まで記憶しており
かなりの思い入れを持っているユーザーは恐らく反感を抱くだろう。
その点が作品を評価する上でのマイナスになってもおかしくはない。
ゲームが途中でフリーズしたり先に進めなくなるようなバグはなく
CPUの思考時間や作戦終了後の移動時間は非常に短くなっている。
しかるにこのゲーム、旧機種版の未経験者か
それ程思い入れがなかった経験者にはそこそこオススメ出来るが
旧機種版に強い思い入れを持っている人には全くオススメ出来ない
移植となっている。そっちの人は買わない方が良いだろう。
変更は多々あるが、単独のシミュレーションRPGとしては遊べる作品である。
ハンニバル・ライジング 下巻 (新潮文庫)
成長し、医学生となったハンニバルが過去の記憶を取り戻し、復しゅうを重ねていく下巻。10代とは思えない冷静沈着さ、やはりこの男、ただものではない。
混沌とした戦後間もない慌ただしい日々の中で、ハンニバルと紫夫人のまわりだけは違う時間が流れているようです。日本文化の描き方については、どちらかというと賛成できない方の方が多いようですが、外国人にしてはまずまずなんじゃないでしょうか。中国も韓国も日本も区別できないような描き方を平気でしているようなものもある中で、多少違和感は感じるものの、少年ハンニバルに影響を与えたであろう紫夫人の世界観というものは理解できると思います。
殺人はいけないとか復しゅうはいけないとか、そんなことはわかっていてもやはりハンニバルの方を応援したくなってしまうから不思議。彼の方が正しくて、なんとか彼のしっぽをつかもうとするポピール警視のほうが悪役に思えてくるほどです。ただ・・・上巻を読んで、下巻ではこれからどんな展開が!?とドキドキしていただけに、やや予想通りの展開がちょっと残念。もう少し、読者を裏切ってほしかったな、と思いました。
どのようにしてハンニバルがこのような怪物となったのか、その点については正直説明しきれていない気がするし、小説としても前2作には及ばないのですが、若かりし頃のハンニバルの物語として読むにはおもしろいと思います。映画は見てないのですが、おもしろかったのかな?
ユリア100式 12 (ジェッツコミックス)
(いい意味で)とんでもなく馬鹿馬鹿しい漫画があるらしいとの噂をネットで聞き、手にとって見た漫画−−それがこの、「ユリア100式」でした。実際に手に取ってみて、そのキャラデザ、設定、トンデモシチュエーションに惹かれ買い続けること12巻。遂にこのたび完結となり、読者としては寂しいようなほっとしたような何とも複雑な気持ちです……。
途中、中だるみと言われる(実際否定は難しいと私も思います)展開にと陥りながら、しかし最後の辺りでの纏め方は変に強引なものにとせず良かったと思います。"性"という日常においては大っぴらに口にするに憚られるものを、明るく正面から向き合うべき当然の事柄としてはっきりと口にするユリアはとても好感の持てるキャラでした。その(あくまで善意からの)暴走を毎度プロレス技で強引に黙らせる瞬介は、日本社会の閉鎖性と読者の内面の気恥ずかしさの体現したものだった気がします。
どんどん増えていく姉妹に「ねーよ」としか言えない毎度の事件、それでも物語の根底に常にあったのは「各キャラの性の問題の内包と隠蔽、それに対してのユリア達の示す解決」であったと思います。瞬介自身が物語の最後に身を持って示すが如く、「それ」は決して人に言いづらいからと放置しておいていい問題ではありません。それを気付かせてくれること、それだけでもこの漫画を読む価値はあると言えるのではないでしょうか。
いつか、本当にユリア100式が実現されると信じて。原田、萩尾両先生、連載おつかれさまでした!