恍惚の人 [DVD]
1972年の段階で老人性痴呆という医学を超えた社会問題に着目した原作者有吉佐和子の慧眼には驚嘆敬服のほかはない。
恐らくはそれ以前にも随所で発症していた障碍がこれで一挙に市民権を得た功績は大であるが、かといってその治療が大きく前進したり、家族などの介護者が楽になったという話はてんで聞かない。むしろますますその被害波及の度は増大しているように実感される。
さてこの映画では、認知症の老人が激しく物忘れをしたり、脱走・徘徊したり、入浴中に溺死しそうになったり、糞便を塗りたくったり、かなりショッキングな光景が繰り広げられるが、最終的には嫁の超人的な奮闘努力のお陰で、症者がなんとかかんとかそれなりに仕合わせな生涯を全うするという結末は、しかしいま今振り返ると、現実の酷薄さと悲惨さを直視しない曖昧模糊とした不透明さがあり、原作者の余りにも文学的&情緒的な視点が物足らない。
全ての症者が次第に理性と悟性を喪失して無垢の幼時へと退行したり、甲斐甲斐しく介護してくれる嫁を恋人や母親のように疑似童話風に思いなしたりすることはない。またあれほど迷惑を蒙った嫁が、死んだ老人を懐かしく回顧して落涙するラストも、かくあれかしと誰もが望むのは勝手だが、余りにもご都合主義だし浪漫的であり過ぎる。現実はあんな甘いものではないのである。
しかし小説や映画はあくまで現実とは異なる異次元の世界なので、本作が時代的な制約もある中で、ある種の予定調和的なエンディングに着地したのはやむを得ない仕儀とは言え、それなら、雨の降りしきる中で老人が見惚れる垣根の白い花が見え透いた造花であるのは少なからず観客の感興を殺いでいる。森繁久弥と高峰秀子の熱演は賞賛に値するが、豊田監督のぬるい演出には疑問符が付くのである。
青い壺 (文春文庫)
有吉佐和子の「青い壺」を読了。壺が辿る13の物語。1話では新品の壺も人の手を経るごとに、古色を帯びてくる。その古色は専門家の目をも曇らせる。僅か十数年が数百年にもなる。その進み具合は、人間の様々な側面を見てきた壺だからこそなのかもしれない。それくらい人間の業というのは強いものなのであろう。その業が染み込んだ壺と再開した作者は新たな感慨を持つのである。
古い作品であるが、作者の筆の勢いに流されるまま読み続けることが出来た。様々な人間をこれだけ書き分けられる、13の短編であるが、一つ一つを取り出すと奥行きがある短編にとどまらない作品集である。
複合汚染 (新潮文庫)
アイガモ農法で知られる古野隆雄氏の試みはこの本がきっかけだったと言います。
選挙応援運動から始まるこの作品は、食品が農薬に汚染された状況である
と訴える候補者の訴えから、化学肥料とは何か、食品添加物とは何か、
それが身の回りの食品に何を起こしているのかを徹底的に追求していきます。
選挙の話はたち切れ状態になりますが、危機的現実に気が付いた医者、農家の
人々、漬物やさんたちが独自に解決策を模索し、答えをだしている様子は頭が下がる思いと
同時に励まされます。
農薬の前身とは何か。全部がそうだとは言いませんが戦争で使われた毒ガスです。
戦争が終わり、あまりの惨状に兵器として全面禁止となっていた毒ガスは農薬に生まれかわって
いた。田の雑草、害虫に限らず益虫、バクテリアを皆殺しにし、土を殺した。
作物に蓄積し、消費者の口に入る。決して分解されることのないそれらは体内に蓄積し、
ついには消費者の体を蝕んでいく。
味を濃くし、香りをきわだたせ、実をしまらせる堆肥が消える。
食品添加物の演出がとってかわる。
何を食べさせられているのかという思いがします。
本当に衛生的とは何か。毒や薬品が衛生や食品の品質を保つのか
消費者は考える必要があるでしょう。
現在77歳の老人が生まれた頃(1930年)、世界人口は20億だった(現在は66億人)
という事実が追い討ちをかけて心にのしかかります。