死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)
佐賀鍋島藩の武士の修養書『葉隠』に材をとった時代小説、斎藤杢之助、中野求馬、牛島萬右衛門のタイプの違う三人の武士を主人公に、男としての生き方、葉隠武士の有り方を描き出しています。
自分の信じる道を行き、自分の信じるもののために全てを懸ける、言葉で言うのは簡単ですが、なかなかできることではありません。が、この三人は、時には絶対的な権力を持つ藩主の意に背くことになろうとも、さらには幕府老中に楯突くことになろうとも、平気でできてしまうのです。意地と誇りと、そして何より覚悟を持って、命さえ投げ出して事に当たることで、人間として男としての輝きがさらに増していく。なんと羨ましい生き方であることか。自分にはできないこととわかっているので、なおさらこの男たちが眩しく魅力的に見えてきます。
残念なのは、最後まで完結することがなかったこと。構想は練られていたので、その後どうなっていくのかは簡単に書いてはあるのですが、やっぱり物足りません。作者の筆で、無骨に愚直に爽快に生きた男たちの物語を閉じてほしかったと感じるのは私だけではないはず。作者の急逝が本当に悔やまれます。
死ぬことと見つけたり〈下〉 (新潮文庫)
作者・隆慶一郎氏の急死により、この「死ぬことと見つけたり」は未完の作品となっている。下巻では、年をとってからの葉隠武士達の活躍、鍋島藩の相続問題、それに絡んでの幕府老中との確執を描いている。途中で終わっているため、クライマックスにあたる、藩主・勝茂の死、そして殉死追腹を切る覚悟の斎藤等の最期は残念ながら描かれていない。おおまかな結末の行方は残っていたのだが、やはり隆氏の手による完結を読みたかった。物語は未完ではあるが、作品としての面白さは文句なしに☆5個。我々現代に生きる日本人がなくしてしまった、崇高なる生き様(死に様)が描かれている。『武士道とは死ぬ事と見つけたり』この言葉の深い意味が自分の心に深く突き刺さってくる。自分は人に恥じない生き方をしているだろうか?男の死に方を考えさせられる。名著です。
義経になった男(四)奥州合戦 (ハルキ文庫 ひ 7-6 時代小説文庫)
全四巻に及ぶ歴史大長編もこれで終わる。前巻で義経が死に、そのあとを受け継いだ彼の影武者、沙棗がどのように生きていくか、そして奥州藤原氏がどのように滅びていくか、読み応えのある第4巻だった。
今巻の主人公は、沙棗というよりは、奥州のため、民のために自ら滅びていこうとする奥州藤原氏の面々。もちろん、これが史実だとは思ってはいないけれど、中央に抗い、生きていこうとする彼らの生き様、死に様には心を打たれた。
とても面白い大長編小説だったけど、読み終えてしまうのが残念だった。まだまだこの物語を続けて欲しかった気がする。例えば、北海道へ渡った彼らのその後、そして義経の影武者、沙棗のその後、などなど、まだ、読ませる題材はあったと思う。
でも、ここで物語を終えることが良かったのかもしれない。彼らのその後については、読者の想像に委ねることが、かえってこの物語を豊かなものにし、余韻を楽しめるようにしている気もする。