相撲のひみつ
この本は、すもう取りの位、すもうの歴史、わざなどをやさしく説明した本である。著者は、50才の現在もまわしをつけて東大相撲部で部員にけいこをつけている人であり、すもうに関する深い知識と経験の両方をもつ人である。だから本の最後では、シコを踏んでみよう、とすもうをやってみることを勧めている。著者は人一倍すもうに愛情をもっているので、書いていることがじつにおもしろい。小学生と中学生にぜひお勧めの本である。大人でもおもしろい。あまりにいい本なので、「すもう爺」もまだ早いとおもいつつ、ついに幼稚園児の孫に買って送ってあげた。
天皇と中世の武家 (天皇の歴史)
前半の「鎌倉幕府と天皇」は河内祥輔氏、後半の「古典としての天皇」は新田一郎氏の担当。
桓武天皇の死後、平安時代の摂関期には平治の乱など全部で4つの不安定期があったようで、それらを「朝廷・幕府体制」を基調とした皇室の「正統」争いとして年代別に分析していく河内氏の解説は理路整然としているだけでなく1901年の菅原道真の失脚と、平治の乱との本質が朝廷の再建運動であると喝破したり、頼朝の蜂起の前ぶれとなった以仁王の敗走の真因が、アジールとして逃げ込んだ園城寺に源頼政を迎え入れたことにあると指摘するなど、随所に新たな知見を盛り込んでエキサイテイングだ。
ところが南北朝の後醍醐天皇を経て足利氏の室町幕府、応仁の乱を担当する後半の新田氏の論考は、いくら読んでも論旨が曖昧模糊としており、肝心の日本語の表現が拙劣で、粗野で、滋味に乏しく、読者である一般大衆により分かりやすく魅力的な文章を書いてやろうというサービス精神も皆無である。
しかし東大の教授だというこの学者は、果たして自分で自分が書いた内容を理解できているのだろうか? 甚だ疑問だ。それにいくら歴史の専門家とはいえ、こんな醜い日本語を書き散らしていいはずがない。本書の前半部の著者の爪の垢でも飲んで一日も早く基本的な教養を身につけてほしいものである。こんな人物に執筆させた出版社も猛省せよ。これまでの著者の中のワーストワンだ。
相撲の歴史 (講談社学術文庫)
本書は自ら学生相撲に深く関わった1960年生まれの日本法制史研究者が、1994年刊行の最初の著書に増補修正を加え、2010年に刊行した社会史としての相撲通史であり、第一に相撲は本来格闘一般を指す言葉であり、各地に多様な形態が存在したこと、第二に相撲は水神祭祀や服属儀礼と結びつき、さらにそれらが朝廷行事としての相撲節に継承されることによって、初めて統一された様式を獲得したこと、第三に相撲節は全国からの相撲人調達システムを形成し、特定の相撲の家を創出し、寺社の祭礼に相撲人を供給する役割を果たしたこと、第四に中世には相撲は脱神事化し、また勧進興行を通じて、自らとるものから京相撲のような専門的相撲人によって演じられる芸能として見物するものに重点を移していったこと、第五に17世紀に土俵や株仲間が成立し、諸藩抱えの力士が興行にも出場し始める中で、徐々に三都四季勧進相撲(大相撲)の体制が整っていったこと、第六に18世紀のそうした体制の中で、素人興行は禁止され、専門力士は部屋単位で養成され、相撲年寄の寄合たる会所が成立すること、第七に同時期に相撲節以来の「正統な故実」を武器に、吉田司家が相撲興行を支配下に置くようになり、その「故実」は大相撲を権威づけ、地方相撲を系列化すると同時に、えたへの差別にもつながったこと、第八に明治初期に危機を迎えた相撲は、後期には国粋的風潮に乗って復活し、国技館の建設後日本の国技と見なされるようになること、第九に現在のアマチュア相撲はもともとこうした大相撲の外部から誕生したスポーツであり、国際化の面でも進んでいること、第十にこうした歴史を踏まえつつ、著者は相撲を4層の重なりあいから定義し(319〜320頁)、それが文化装置をまとった格闘競技であることを強調した上で、今後の課題を整理していること等が、本書の内容である。
決定版!!爆風スランプ大全集
全15曲じゃなくて全17曲のはずなんですが、ラスト2曲(16曲目「ちゃんちゃらおかP音頭」、17曲目「京葉フリーウェイ(LIVE)」)は歌として認識されていないのでしょうか?
データベースにも載ってませんし…ボーナストラック?(笑)