愛妻物語 [DVD] COS-052
日本のインディーズ系映画の先駆者であると同時に多作なシナリオライターでもある新藤兼人(1912〜2012)の監督デビュー作です。映像のディテールの凝りように新人監督らしい気負いがあらわれていて微笑ましい。1951年、大映制作。
正規版DVDの十分の一ぐらいの価格で売られている廉価版なので、画質は気になるところですが、ところどころ少し雨が降っている程度。まあ許容範囲でしょう。音声は小さめですが、これは音量を上げれば普通に聴き取れます。
シナリオライターの沼崎(宇野重吉)が、無名の頃にかけおちして同棲した孝子(乙羽信子)との下積み生活の日々を回想する。結核で早世した新藤の先妻がヒロインのモデルです。理想の女性像として美化されている印象も受けますが、ありきたりなメロドラマになっていないのは、当時26歳の乙羽信子の笑顔の魅力に拠るところが絶大だろう。
《私は映画の脚本を書き始めてから、もう十年余りになりますが、才能も貧しくてまだこれという作品を書いておりません。しかし、私は映画を愛しております。いつかはいいシナリオを書きたいと努力しています。でも一生そう思いながら死んでしまうかもしれません。それでも私は満足です。この物語の私の妻がそう教えてくれたのです。》
文学にたとえると私小説というか、これは私の苦手なタイプの作品ですが、映画作家としての真剣な思いが作中にみなぎっていて、おのずと心にしみるものがある。初心をつらぬくことの大切さ。新藤兼人の入魂の一作として後世に残る秀作です。
戦時下の京都の撮影所の雰囲気や町家の暮らしの四季のたたずまいがリアルに撮れているのもすばらしい。師の溝口健二をモデルにした坂口監督(滝沢修)や、隣家の職人夫婦(殿山泰司、大美輝子)など、脇をかためる芸達者たちの演技の渋さが心憎い。
紆余曲折をへて晩年に新藤の妻となる名女優乙羽信子との運命的な出会いをもたらした作品でもあるわけですが、それはまた別のお話ですね。
絞殺 [DVD]
1960年代後半から1970年代前半、新藤兼人はどうとらえたのか。
新藤兼人一派の役者全員勢揃い。これはみごとである。感動する。
しかし、当時、精神科医として格闘した者としては悔しい。
超核家族。
わずか3人。父、母、息子。
息子はこの家における宝石。今、大学受験を控えている。めざすは東大。
奇跡の息子のために 坊ちゃん親父は、金で買ったような女房と 性生活を 貪欲に楽しんでいる。
息子のことは この単純すぎる親父には理解不能。
息子が男として成長している事実を理解不能なる父。理解可能なる母。
当時、よくあった家庭内暴力。息子を父は殺した父。絞殺。
父の世界を想像し、父をあっけなく救済した国家。
あの当時、かようなことは 日本国において 全国で多くあり、大人たちはどう対応すべきか困惑していた状況。
一見、新藤兼人の厳しい状況批判の感あるも、甘すぎる。
この映画は、既に死去した新藤兼人の遺品として世に残って欲しい。
新藤兼人一派の、彼をしたう 天才役者が勢揃いしている。すごい!
しかし、一言、甘すぎる。
かような状況に精神科医として闘いし精神科医としては無念。
1:あの時代における 親子関係は 厳しいのは当然。息子が父親に反抗するも当然。
2:息子も 男になり、女性との関係も複雑、最後は自分で選択しなければならないのも当然。
3:一見、荒っぽいように 今の人たちは思うであろうが、当時はよくあった話しなのである。
4:新藤兼人一派の総出演。これがこの作品の存在価値。
5:乙羽信子の美しさ、艶やかさはこの作品で観ることができる。息子の彼女への荒っぽい愛の行動は 音羽の乳房をみせ、音羽の女としての艶やかさを想像させる。これが この作品の最もよき宝物。
とにかく 諸氏も 観て下さい。新藤兼人一派のあの時代の作品として。
裸の島 [DVD]
さきほどNHK−BSで見ました。
Wikipediaなどで見ると、低予算で作るインディペンデント映画の名作として高く評価されているようですが。影像そのもので見るかぎり、いまいち。
まずどうして職業俳優を使ったのでしょう。舟のこぎ方も水桶の担ぎ方も、なれない仕事をしているのがありありとわかってしまって、感興をそぎます。体力の限界で演技をしているのはわかるのですが、どう見ても都会から来た俳優とスタッフが現地人の真似事をして、自己満足におちいっているという感がいなめない。こういう場合は現地人を起用するのが常道でしょう。事実、共演している子供たちの出るシーンのほうがはるかに自然でいい影像になっている。
第2に、影像に工夫がない。低予算で作る映画は、その予算内でどれだけのことができるかと知恵を絞るのですが、そういった工夫が見られない。クローズアップ、長回し、捨てカットのモンタージュ、いくらでも方法はあり、そういった工夫で観客を飽きさせないのですが、この映画ではその工夫がない。どのカットも説明的で、それを延々とくり返す(ついでにいえば林光の音楽もいけません。暗い曲調がまずいのではなく、同じ曲をなんどもくり返すのがいけない。労働の場面も労働後の一家団欒の場面も同じ曲では、センスを疑われてもしかたがないでしょう)。
第3に内面描写が類型的。いっさい台詞なしで見せるというのなら、仕草や表情が重要なはずなのに、それがない。重い荷物を担ぐときは気張るし、降ろすときはほっとするし、そんな表情の一つ一つに生活のリアリティーが表れて感情移入ができるのに、そんな自然さがまったくなく、労働の過酷さを表現するためにでしょうか、登場人物がまったくの無表情。これでは人物造形として失格です。
国際的な賞もとり、評価の高い映画なのですが、たとえばこれを似たような条件で撮られただろうキアロスタミ作品などとくらべると、はるかに見劣りするといわざるをえない。映画について、よけいなイデオロギーや言説がついて回った時代の遺物としかいえないだろうと思います。
乙羽信子―どろんこ半世記 (人間の記録 (38))
本書は、S55に「週刊朝日」に連載されていた「どろんこ半世紀」を単行本化したもの。
女優の故・乙羽信子さんから取材したものを、江森陽弘氏がまとめて書き記した書です。
乙羽信子さんの出生の秘密〜養父母との生活、宝塚音楽学校への入学、映画界入り、女優人生と一人の女性としての運命を変えた新藤監督との出会いと出演作品について、新藤監督との人目を忍ぶ関係、入籍にいたるまでが克明に綴られています。
戦前・戦中・戦後の宝塚の歴史、越路吹雪さん、淡島千景さん達のエピソードも読んでいて楽しく、映画界・TV界の大女優・名優、現在では大女優になった人達の若き日の逸話も、乙羽さんの視点から語られていました。
特に心を揺さぶられたのは、新藤監督への限りない愛と尊敬の念でした。
たとえ人目を忍ぶ恋でも、崇高で美しく感じられたのです。
乙羽さんが、初めて出生の秘密を知った時の反応には、「女優魂と女優の性(さが)と業」に凄みを感じさせられました。客観的に冷静に自分自身を見つめて、後の芝居の参考にして役立てています。
運命的で不思議な感覚にとらわれたのは、宝塚に入った時につけられた「あだ名でした。乙羽さんの出生の秘密や哀しい実母の運命、後年の新藤監督との関係をも予言していた事が皮肉です。
「愛した男性が、たまたま妻子ある人だった」ことによる苦しみ、毎年迎える孤独な正月、ある大きな決意をもって、女優を続けることで「忍ぶ恋」を耐えた女性の本音が、赤裸々に書かれています。
新藤監督と初めて結ばれた夜の描写は、映画の1シーンを観ているような感覚に陥りました。新藤監督の「ひとこと」に対する感想を含め、数々の珠玉の「おんな」「女優」としての「性」が濃厚に感じられる言葉が散りばめられているのです。
江森氏の聞き書きによる書ですが、乙羽さんの知性と鋭い洞察力と感性、自制心の強さと女優魂を強く感じた書です。
モノクロですが貴重な写真も多く掲載されていました。
プライベートな部分に関する記述でも、感情的ではなく、驚くほど湿度がない表現でドライな文体、聞き書きした江森氏の推測や思い入れは、入っていない書です。