高校教師 DVD BOX
いわずと知れた不滅の傑作ドラマ。第1話で赴任先の女教師から「やっぱり若い子のほうが〜」との問いに「普通かなあ・・」答える羽村は「平凡」こそが理想という新任教師。そんな羽村を第3話で二宮耕介は「普通とは何だ!」と激怒する。だが、耕介が電話のモジュラーケーブルを引き抜けば、終盤では羽村もケーブルを抜く。 ”平凡”を好んだ羽村と”普通”を忌み嫌う耕介が結局は同じ位置に立つ人間であるという事実を生々しく描いていく。”モラル”や”普通”を出発点としてそれらとは正反対ともいうべき、教師と生徒の関係や近親相姦はもちろんのこと、不倫や同性愛、教育実習生が教師に恋をするシナリオも加わり、これら禁断的要素が巧みに絡み合いながら、その中で次第に浮き彫りになっていく「本当の自分」。回を重ねるごとに段階的に増強していく緊迫感と切なさは特筆すべき素晴らしさである。細かい部分まで実に丁寧に作り込まれており、あちこちに配置されたちょっとした台詞の中に謎を少しずつ明らかにする手法をごく自然な流れの中で確立できている点は驚嘆に値する。例えば「お父さんも死んじゃった」→「あのヒトには会って欲しくないの」→「お父さんじゃなくなった」などの綿密に計算された台詞の変化などがそれ。映像表現の巧みさも素晴らしく、特にメラメラと燃える「炎」を人間の感情や心の中(時には屈折した心の闇)の表現手段として扱っており、弁当の中身を捨てた焼却炉の炎、写真を燃やす炎、ろうそくの炎、二宮親子の別れの炎、新庄親子の再会のときの炎は印象的に提示されている。また、随所に登場する繭をモデルにした絵が映し出されるタイミングの秀逸さ、撮影したテープの存在で脅されて呆然となった相沢の顔のバックにザーっと何も映っていないテレビの画面を重ねるシーンも抜群。主要人物の俳優たちには台詞を最小限にとどめ、続きを表情やしぐさのみで補うという正統的な演じ方の指導が徹底されているようだが、各自がそれを完璧にこなしており、それぞれが役柄にハマっていて見事な仕上がり。特に第9話の追試が終わってから例の事を釈明する桜井幸子の演技はスバ抜けていて恐ろしいほどの説得力を持つ。 ただ、こんな稀に見る傑作にも小さいことだが残念な点が二つある。一つは第2話の繭がタバコを吸う場面で、周囲の人のけげんそうな反応は演出的にはわざとらしく大げさ過ぎる。それから第10話のBGM。別に中村あゆみに恨みはないが、やはりカラオケで歌った曲がそのままBGMに発展するのは安直。 最終話の「仰げば尊し」以外は全編を森田童子で貫いて欲しかった。この二点は個人的な意見であり、一般的な本編の価値を少しも損なうものではない。あくまで”欲を言えば”の話である。
干支別守護本尊 童子型 身丈2.5寸 不動明王
自宅にお迎えしました。
愛らしいけど、不動明王様の厳しさも併せ持った仏像です。
机の上、コンピュータディスプレィ前に置いて、いつでも見られるように、というか、いつも睨んでもらえるようにしています。
左牙を上、右牙を下にした珍しい形相です。
安らぎます。
木田高介アンソロジー~どこへ
もう亡くなってから30年以上になるんですねぇ。私は1980年にナターシャセブンのステージで初めて彼を知りました、それから間もなくでしたね、かなりショックを受けました。当時は当然パソコンもなく情報を知る方法が無かったけど、今改めて聴きなおしてみて彼の非凡な才能を感じています。出来ればもっと多くの曲を聴きたいです。レコード会社の都合も有るんでしょうが、例えば「神田川」の入った「かぐや姫サード」にはあと数曲彼のアレンジした曲があります。どおか第二、第三のアンソロジーをお願いしたいものです。「木田さん、俺絶対にあなたを忘れないからね!」
ぼくたちの失敗 森田童子/ベスト・コレクション
1970年代後半〜1980年代前半に活動した東京出身の女性シンガー・ソングライター。1970年代前半の学生運動の挫折と終焉を背景にした喪失感あふれる内省的な歌曲多数。か細く繊細な歌声の囁くようなヴォーカル。1993年にTBS系TVドラマ「高校教師」の主題歌として使用された「ぼくたちの失敗」がリヴァイヴァル・ヒットとなり、森田童子再評価の起因となった。「ぼくたちの失敗」、「さよなら ぼくの ともだち」(ライヴ・ヴァージョン)他代表曲を収録したベスト盤(全13曲)