小公子セディ (絵本アニメ世界名作劇場)
個人的にバーネット・シリーズはシヴィアな見解を持っております。
おそらく腹が煮えくり返ると皆さんは言うかもしれません。
しかし私は“こだわり”にこだわらせていただきます。
私のこだわりというのは実力者の話は面白いとは必ずしも言えないということです。
もちろん関心のある点もあります。
アメリカの一市民がある日突然貴族になります。
“貴族”と“庶民”には大きな壁があるとすれば、
なかなか興味深い変身譚だと思います。
またセディは父親ジェイムズに感化されています。
ドリンコートとの対話の中で「お父さんがそう言ってましたよ」とあります。
これすなわち現在希薄な存在である“父”なるもののありかたを
現代の人間社会に語っているのではないでしょうか。
されど気になる点があります。
それは214頁の不正事件でセディたちが絶体絶命に陥ります。
しかし迫力がありませんでした。
もう少し“アクセル”を踏んでいただかねばと思います。
もう一つあります。
貴族すなわちセディとドリンコートは民心のために援助します。
援助することに批判はありません。
ただ伯爵という“大貴族”が資金援助する光景はおもしろくありません。
むしろ領主として当たり前ではないでしょうか。
彼らによる援助よりもアニーによる素晴らしい行いのほうが称賛に値しす。
この物語の主人公はセディですが、セディを立派に育てている両親のほうが魅力的です。
小公子セディ (竹書房文庫―世界名作劇場)
「秘密の花園」「小公女」などの作者の”最高傑作”とも評される作品。
心優しく幼い主人公と、その祖父である、頑固で冷徹な伯爵の
心の交流が丹念に描かれた全編にやさしさと愛のあふれる作品です。
この作品の根底には「アメリカvsイギリス」という時代背景もあります。
この作品の当時はアメリカがイギリスから独立してだいぶ経ったとはいえ
いまだに、両者に敵対心があったようです。
主人公はアメリカ育ちで母親がアメリカ、父親がイギリス貴族。
一方の祖父は生粋のイギリス貴族で、この2人の心の交流は
アメリカとイギリスの心の交流とも言え、
そこから2人の価値観の違いに注目して、お読みになっても面白いでしょう。
現実的な祖父の頑固さ、冷徹さにと、セディの聡明さ純真さ優しさは
とても対照的で大切なものを思い出させられるような、感動の作品です。
日本アニメーション 世界名作劇場 主題歌・挿入歌大全集 II
このあたりになると、
放映された作品自体は、もう見なくなっている。
しかし、主題歌におニャン子クラブのメンバーが
起用されたり、
歌自体は知っている曲が結構多く、
「ああ…この歌って、アニメ主題歌だったんだ」
と、今になって改めて思う今日この頃だった。
しかし、ボーカル部分において、
「え?」って思うような歌唱力や、
何で、これがアニメの曲になるのかという、
ちょっとした疑問が頭をよぎるのが、
多少あったが、まあそれも時代の流れであろう。
個人的には、やまがたすみこや小林千絵の歌声が、
久しぶりに聴けたのが、とてもうれしかった。
小公子セディ(1) [DVD]
小公女セーラと同様、セディも不幸の一途を辿ります。
セディは落ち込んだときもフルートを星空の中で奏でながら落ち込んでいる自分を励まし、そして負けません。
過日結婚された西田ひかるさんが主題歌「ぼくらのセディ」を歌っており、まだ中学生だった頃の西田ひかるさんの少しはにかんだ口調の歌がとても魅力的です。
小公子セディ(7) [DVD]
ある日、暇を持て余して野球で遊んでいたセディを、馬番のウィルキンスとコッキーは不思議そうに眺めていた。イギリスでは野球はほとんど知られていないため、セディは2人に野球を教える。もっと大勢のメンバーで本格的に野球をしたくなったセディは、屋敷の使用人達を総動員して野球の道具を作り始める。この一代プロジェクトに、何と伯爵までも参加することに。・・・
この7巻では、セディが屋敷の使用人達と一緒に野球を楽しんだり、アールスコート村の少年ハートルが抱える問題に胸を痛めたり、周囲の人々とふれあうことで、少しずつ領地の様子を知っていくプロセスが描かれています。ハートルと友達になることで、アールスコートの住宅問題について考え始めるというストーリーは、セディが「おじいさまなら、アールスコートの家を直してくれる」と信じて、伯爵が一途なセディの思いに少しずつ感化されるという重要なポイントの役目を果たしています。また、セディの母親アニーも、アールスコートの貧しい人々たちを訪ね歩き、病気の人々を看護する献身的な活動をたゆまず行っています。離れていても考え方や行動はそっくりであるセディとアニーの絆を思わせるエピソードです。