肉体の悪魔・失われた男 (講談社文芸文庫)
田村泰次郎の名はその作品「肉体の門」と固く結びついている。それは1947年、著者が中国から復員して1年7ヶ月後に世に現れた。日本人は敗戦のショックに打ちのめされながらもまずは日々の食糧の確保に血眼だった。そこに現れた一つの現象は性を売り物にするいわゆる「カストリ雑誌」の盛行である。『肉体の門』は当時、そしておそらくはその後も、そのような時代風潮に迎合するものとして受け取られてきたのではないだろうか。この選集には「肉体の悪魔」「蝗」「渇く日々」「肉体の門」「霧」「失われた男」の6編が収録されている。そのうちの2編、中国戦線での慰安婦の輸送にかかわる「蝗」と最後の「失われた男」を除く残りはすべて1947年12月以前に書かれている。つまりここにあるのは著者の生々しい戦場体験、さらにはそれが血肉となった復員兵の心象、さらにはその目にうつる戦後の日本である。
すべての作品が戦場の記憶を映し出している。戦線の大局は掴みがたい。反面、描かれている多くの事件が著者の実体験を踏まえていることに疑いはない。「肉体の悪魔」は1942年の宣撫作戦に添っておりそこでは毛沢東を始めとする中共軍の幹部とともに「顎のところを弾丸がぬけたために」発音が明瞭でない'ケ小平が話題に上っている。しかし作品としておそらく最も完成度が高く、また「戦場で獣と化す」兵士を最も迫真的に描いているのは「失われた男」だろう。戦後19年目に初めて郷里を訪れた主人公はそこで往時の戦友であり相棒であった男の家を訪れる。野性化した犬の群れに囲まれ、今は生ける屍と化している友を彼は己の分身、己の「恥部」と意識して戦後を生きてきた。彼はその戦友の死を安堵の念をもって見守りながら自らの「存在の重み」が揺らぐのを実感する。「人間離れのした荒々しい肉欲と攻撃力」の最後の様相にはコンラッドの『闇の奥』の結末に通じるものがある。
肉体の門 [DVD]
本作が制作された1964年といえば、先の大戦終結から20年くらいたった頃。「もはや戦後ではない」などと言われ始めた時代でした。そんな中、実際に戦争に従軍した経験をもつ鈴木清順監督がメガホンをとった作品です。
戦後の大混乱期を生き抜いた娼婦たちの物語。当時は本当に、毎日が生きるか死ぬかのサバイバルでした。まさに弱肉強食、みんな生き抜くのに必死だったんです。そういった中での女性たちの逞しさが、逆に観ていて切なさを感じさせます。デビューしたばかりの野川由美子さんの美しさは言うまでもありませんが、70年代以降テレビなどでのオバちゃん役が多い石井富子さんまでが娼婦役というのが、なんか凄い。
最近は反戦などというのもおこがましいご時世になりつつあります。そんな時、戦争の持つ現実について考えるのにはいい機会になる作品だと思います。当時の女性たちのバイタリティーさに併せ持つ哀しさ、みたいなものがうまく表現されていて、まさに名作です。
文士の戦争、日本とアジア (新・日本文壇史 第6巻)
葦平、泰次郎、泰淳、知二、順、宏、鱒二、道夫……、文士が、続々とアジアの戦場に出る。彼らは満州から中国、フィリピン、シンガポール、ビルマ、インド……、大東亜共栄圏のために積極的にしろ消極的にしろ陸海空で戦う。
そして著者は読者を道ずれに、にわか戦士となった文士のその足跡を、執拗に追う。追いながら、その抽象的な戦争体験ではなく具体的な戦場体験を疑似追体験しながら生々しく執拗にあぶりだす。戦争体験と戦場体験は天地ほども違う。
戦場は普通の市民を狂気に駆りたて、精神を錯乱させて地獄の亡者に変身させる。この世の修羅に全身を晒した彼らにとって、もはや理非曲直を冷静に判断することはできない。頭でっかちの歴史観は蒸発し、血と殺戮と動物的本能だけが彼の知情意を支配するのだ。
兵士相手の慰安婦たちの手摺れた肉体にはない村落の中国人女性の肉体を犯すことでおのれの肉体奥深く仕舞いこまれていた官能の火が消せなくなった文士がいる。中国兵を殺さざるを得なかった文士がいる。そして、それは、僕。それは、君。
中国女を強姦し、中国兵の捕虜を斬殺し、強盗、略奪、放火、傷害その他ありとあらゆる犯罪を意識的かつ無意識的に敢行する「皇軍」兵士と、その同伴者の立場に立たざるを得なかった文士たち。この陥穽を逃れるすべは当時もなかったし、これからもないだろう。
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す 宮柊二
恐ろしい句だ。悲愴で真率の句だ。そして彼らは、この惨憺たる最下層の真実の場から再起して、彼らの戦後文学を築き上げていったのである。
私たちは、「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもよい。早く済さえすればよい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」、という井伏鱒二の言葉をもう一度呑みこむために、もう一度愚かな戦争を仕掛けて、もう一度さらに手痛い敗北を喫する必要があるのかもしれない。
肉体の門 [DVD]
「吉原炎上」とほぼ同じキャスト、ということで気になってみて見ました。
戦後のお話で、あまりに生々しく重い。
今の風俗嬢とは一線を画している。
「自分たちがみじめじゃない生き方が出来る場所」を作るのが夢。
その言葉があまりに重く響きました。
ただ、セットがなんだか「作り物」的な感じがしてそこが残念でした。
吉原炎上はセットは凝っていたと思います。
★4つにしましたが、見て損はない映画だと思います。
田村泰次郎の戦争文学―中国山西省での従軍体験から
文学研究の専門書ですが、先の戦争のルポルタージュとしても読めます。
田村泰次郎という作家の戦争小説が、基本的に戦史に忠実であり、自身の従軍体験に即して書かれていることを、舞台となった中国山西省周辺を実地調査して明らかにしている点が、この本の価値です。戦後60年余、ほぼタイムリミットを迎える中で著者がした仕事は貴重です。