歌は美しかったIII~女性歌手へのオマージュ~
ここに収録されている「私の鶯」はオリジナルの山口淑子の歌唱が素晴らしかったが、五郎部俊郎も高音を生かし、この難曲を見事にこなしている。
このシリーズでは、いつもピアノ伴奏のアレンジと相川陽子の演奏が実に素晴らしく、この人のソロの演奏を聴いてみたい。
洗濯屋しんちゃん 第一話 [DVD]
かなり期待していたのですが、うーんという感じの評価をつけさせていただきました。エッチのシーンはいいのですが、キャラが、ミセスジャンキー?と思わせるものでした。ミセスジャンキーのキャラがこっちにも出てきたという感じでした。
表紙パッケージとかはPCのを使っていますが、中身は全く違う質のキャラクターでした。出来るだけ、PCに近い画を期待していただけにとても残念です。
私個人の好みですが、唇(口)が厚くて好きにはなれません。
精神分析と横断性―制度分析の試み (叢書・ウニベルシタス)
F・ガタリの初期論文集です。
D/Gをはじめて読む人が面食らうのは、分裂症をたんなる病気のカテゴリーで捉えるのではなく、近代資本主義社会を分析するモデルとしていることでしょう。その理論的根拠はラカンの精神分析だけにあるのではなく、彼が勤務したラボルド精神病院でのユニークな治療法の実践にあるのです。この病院はフランス中部の敷地面積18ヘクタールもある城館に設立され、第2次大戦中はひそかなレジスタンスの拠点になるなど、左翼的な政治・文化活動にも深くかかわってきました。ここで行われてきた治療は「制度的治療法」とよばれています。簡単にいうと、精神病患者を文化的な創造性を秘めた生産的主体と捉え、その創造力を積極的に評価することで、精神病院という施設自体を変革、治療していこうというものです。この方法によれば、医師、看護人もまた、それぞれ管理人、使用人としてではなく、それぞれの役割を自覚したうえで、主体的に院内共同体に参加し、かつまた精神分析を受けるのです。その方針の必然的帰結として、病院組織は外部社会に対しても開かれており、学生や左翼活動家なども、ここで看護人として、あるいはインターンの医師として受け入れてきました。いわば60年代のヒッピー・コミューンのような、およそ日本の精神病院のイメージからは、とうてい考えられないようなありようをしていたのです。
本書冒頭に収められたいくつかの論文、レポートを読むと、『アンチ・オイディプス』の諸理論が、ラボルドにおける実践活動から自然に導き出された認識であることがよくわかります。
ガタリのアイデアは「横断性」というキーワードで表され、一般社会にも敷衍されていきます。本書の表題の一部にもなっているこの「横断性」とは、官僚的組織における上意下達の垂直性や、見知らぬ個人同士が寄りあつまったときに生じる心理的不快という孤立した水平性をのりこえ、さまざまな異なったレベルで、異なった方向で行われるコミュニケーションを意味します。このアイデアは、ドゥルーズの『差異と反復』に表された差異哲学と結びつくことで、「構造」の固定性を乗り越えた「機械」の概念に発展しました。ガタリの思想は、68年5月の分子革命からマルチチュード派へ引き継がれます。この「横断性」の理念は、彼のイデオロギーとは関係なく、事実上多くのNPO、ボランティア活動の現場で実践されていることでしょう。
『アンチ・オイディプス』における分裂症の位置づけは、ラボルド精神病院の独特な医療実践、治療体制をぬきにしては、その社会事象分野への広がりを理解できません。D/Gの研究もすすんできて、今日では『アンチ・オイディプス』に書かれたアイデアの多くが、ガタリが発案し、ドゥルーズが論証したことが知られるようになってきました。本書はそのアイデアが発生した現場の雰囲気を知るためのドキュメントとして貴重です。