評伝 若泉敬 (文春新書)
若泉の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の書評を書いた以上、読まねばならぬと昨夜から一日かけて読んだ。他用もあったが、読んでよかったと思う。著者の取り組みに感謝したい。
ただ、若泉の著作を読み、今回の評伝を読んで、一層に気になりだしたことがある。この評伝で知ったことは、佐藤の意志ではなく福田の意向で佐藤と縁ができたということ。そこからも気になるのは、福田、佐藤が外務省とは別ルートを作ったのは、既存のルートへの不信感だったのか、それともジョンソン、ニクソンを通してのホワイトハウスの意向が強かったのか、どうも今一つ釈然としない。米側が外務省ルートとは別のルートを欲したのは、職業外交官の強かさを忌避したのか。若泉の存在を必要としていたのは官邸なのか米側なのか、どちらの側面が強かったのか。まだまだ見えていないものが多いような気がする。本来は、外務官僚からの観察記録なり総括なりが実証的に出てくるといいのだが、彼らは沈黙に徹するのが職業倫理であろう。元次官谷内正太郎も公表しても全く差支えない最小限度しか漏らさないだろう。
『他策』への印象批評でぼんやりと記したのだが、若泉が取り組んだ沖縄施政権返還という主題は、世界国家米国の世界戦略の重圧を担う者たちに、徒手空拳で挑むようなものであったということ。若泉が神経をすり減らすのは当然だった。その若泉を繊維交渉まで使った佐藤は、率直にいえば「いい玉」だ。便利屋のようなメッセンジャーとしての役割を振って、あたら英才を潰してしまったからである。佐藤の士を遇するに礼の至らなさを見た。若泉も任にあらずと断ればよかったものを、と他人事ながら思う。この個所は読んでいて辛い部分ではある。
「沖縄核密約」を背負って 若泉敬の生涯
ニクソン、キッシンジャー、佐藤栄作、そして若泉と言われた沖縄の核再持込み密約の一角、国際政治学者の若泉敬の生涯を描く1冊。
若泉の政治的な立ち位置は保守主義のそれであろう。普段、こういうイデオローグには一片のシンパシーも持たないが、若泉の生涯には痛哭せざるを得ない。
若泉には、密約の構想者のひとりとしての重い責任があることは言うまでもない。彼も魑魅魍魎の政治屋たちに利用されたという面がないではないが、それは言訳に過ぎないだろう。今日の在沖縄米軍基地を巡る布置は、この密約によって決定されてしまったということはほとんど動かし難いからだ。
福井県福井市を仕事で訪れた際、ふと立ち寄った書店で若泉著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)を見つけたのは、兵庫の大地震の前年だったと記憶する。本書が大手出版社の新刊であってみれば、都会の大型書店で見かける可能性のほうが高いはずだが、刊行日や仕事のスケジュールのタイミングによって、なぜか若泉の郷国(福井県鯖江市)で出会うという暗合。
評者は個人的に若泉を知っていたが、それまでは彼がこういう経歴を持っていることをまったく知らなかった。
その晩年は家族とも義絶し、自らの責任を悔い贖おうとする、あえて言えば“サムライ”の姿をとどめていた。
他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 〈新装版〉
先日NHKの特集を見ました。著者の若泉敬氏の、沖縄返還までの道のりと、返還後の苦悩について克明にトレースされていました。
私はこの番組を見て、「若泉敬」という一民間人に興味を抱くと同時に、現在の我々日本人が喪失してしまった何かを感じました。私はこの何かをはっきりつかみたいと思い、若泉氏の本著作を読みました。「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ズ」は陸奥宗光の外交秘話「蹇蹇録」の中から採った一節だそうです。当時の沖縄返還に関わる密約で、基地問題等に関し、現在の状況のようにせざるを得なかったことがうかがえます。沖縄の「痛み」を日本の「痛み」として血肉にし、そこに殉職していく若泉氏に尊敬の念を抱きました。現在の日本人が喪失しているものが何なのかつかめた気がします。日米関係を相似形とした日々の煩わしい人間関係への配慮や、経済的な思惑から離れ、理想を追う姿、正しさ・優しさを追う求道者としての若泉氏の姿、これこそが現在の日本人に欠けている姿勢ではないでしょうか。