リジョイシング
1983年11月29日・30日ニューヨーク、パワー・ステーションで録音。ECMより発売、プロデューサーはマンフレート・アイヒャー!
おそらくはアイヒャーがプロデュースしたパットの最後の作品である。この後1984年2月15日から19日同じくニューヨーク、パワーステーションでパット・メセニー・グループの「First Circle」を録音しているがECMからかろうじて発売されているものの、プロデューサーにアイヒャーの名はない。ECMのアルバムでプロデューサー名にアイヒャーの名がないアルバムを僕は他に見た事がない。ということでアイヒャーの意図のもとに作られたパット最後のアルバムが本作であると言う事になると思う。
アイヒャーのコンセプトは明確だ。オーネット・コールマンのリズムセクションとパット・メセニーを対峙させ、オーネットの曲をやらせたいということだ。
有名な「Lonely Woman」が最初に登場する。本作は実はホレス・シルバーがオリジナルだが、オーネットの演奏が有名なのは言うまでもない。オーネットの曲を他に3曲、ヘイデンがパットに捧げたブルースが1曲、パットのオリジナルが3曲という構成だ。ただ、パットのやりたい音楽とアイヒャーのやらせたい音楽との乖離は広がるばかりだったのは次作「First Circle」を聴けば一目瞭然である。なおかつ「First Circle」はグラミー賞を受賞。パットは自身の音楽の方向性が正しいのだと確信したに違いない。
この後、メセニーはブラジルへと進路を向ける。それが最終的に正しかったかどうか、僕には疑問だ。
プレゼンティング・レッド・ミッチェル
近年でこそベーシストがリーダーのアルバムは珍しくなくなったが、50年代、60年代まではチャールス・ミンガスなど一部の例外をのぞいて、ベーシストがリーダーとなってアルバムを製作することは稀であった。それだけ脇役だったベースが、単なるタイムキープの役割から、重要なポジションになってきたところに、モダンジャズのリズムの変化やインタープレイといった複雑化との関連を見ることもできる。しかし、それ以前にオスカー・ペティフォードやレイ・ブラウンなどのバーテュオーゾの存在によってベースの重要性は認識され、50年代半ばのポール・チェンバースの台頭によってベースの可能性は拡大されていった。西海岸における最も重要で実力のあったレッド・ミッチェルの場合も、数々のセッションに名を連ね、名盤を量産していったわけであるが、決して表に出るわけでなく、この数少ないリーダーアルバムでも、特に自己名義のアルバムらしい野心などは感じられない。それでも重厚で手堅いテクニック、リズム感覚の確かさは群を抜いていて、モダンベースのパイオニアの一人として名を連ねる存在となっている。このアルバムにおけるリラックスした居心地の良さは、西海岸、コンテンポラリーが似合うミッチェルならではのものであろう。
フリー・ジャズ(+1)(完全生産限定盤)
内容はまさに題名通りのフリージャズ。そしてこの一枚がジャンルそのものになった。感想を訊ねられれば安直だが芸術と答える。
フリーは芸術だと。そう想うとオーネット・コールマンは最高のリーダーの前に最高級のプロデューサーであると思う。脅威の美学
を支える信念がある。つまりコールマンの核がフリーじゃないんだ。フリーの核がコールマンなんだ。彼という大黒柱がいて始めて
メンバー全員が完全な自由を手に入れる。ただフリーとして独立した瞬間にそれは独り歩きも始める。リスナーにはちょっとした
スポンサーとしての資質が求められる。でもそれがあった時この一枚はあなたにとって魅力的な脅威になることでしょう。