未来を写した子どもたち(通常版) [DVD]
インドのカルカッタには街外れに赤線地帯がある。家族は母や娘の売春で得られたお金で生活し、女の子は代々売春婦になってしまうという運命を辿る。映像を見ると母親が子供に汚い言葉を浴びせ、子供を学校に行かせたがらずお客を取らせようとしている。子供も自分の将来を冷静にわかっていて、それでも未来を信じている。そこにカメラを通して子供たちを現状から救いたいという信念を持つザナ・ブリスキのいう女性が現われてから。彼女は子供たちにコンパクトカメラを渡し、基礎を教えてから好きなものを撮らせる。写真を撮るということに夢中になり、ザナに褒められることによってまた未来が開けるような気持ちになる。子供たちはこんな苦境にありながらも非常に明るく、決して不幸だと感じていない。
未来を写した子どもたち(特別版) [DVD]
アメリカ制作の映画ですが、赤線地帯の子供たちを「かわいそう」という色眼鏡で撮るのではなく、苦しい生活も含めてありのまま生き生きとらえている所が良いと思いました。
子供達の将来に期待します。
コルカタ
小説に転向し、川端康成文学賞を受賞して以来、久しく、著者の詩を雑誌等で、見かけなくなった。
そんなとき、本書が刊行された。タイトルの『コルカタ』はインドの街の名称。旧称カルカッタである。
ベンツが走る公道に、牛や豚が同居し、様々な人種が蔓延る、混沌の土地である。
著者は、2週間、そのコルカタに滞在し、本来、言葉にならない稀有な体験をしてきたようである。
あとがきに依れば、その体験を核に、著者は毎朝一篇、本書に所収された詩を執筆したとのこと。
その為か、極めて即興的な趣きの強い詩集が生まれた。擬態語を多用した即興詩の妙なる響き!
土地の名を冠した詩集と言えば、飯島耕一の『バルセロナ』『宮古』、あるいは、詩集ではないが、
金子光晴の傑作紀行『マレー蘭印紀行』などの、先人の錚々たる作品が想起されるが、
本書も、紀行文としても読むことができる、著者の新境地を示す渾身の詩集である。
たとえば、こんな一節「もし わたしが 怒りを妊娠したら いつか みずみずしい 真っ赤な
スイカを産むだろう 股のあいだを血で染めながら」(「怒る女」より抜粋)。
もし、これらの詩篇を朗読するなら、フリー・ジャズとのコラボレーションが好ましいかもしれない。