朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
2011年3月26日現在、福島第一原子力発電所では事態収拾作業が続けられている。
通常の1万倍という放射線の環境下、東電側の不手際で作業員が被曝するという事態まで
起きてしまった。
このような時だからこそ、十年近く前の東海村JCO臨界事故のことを想起すべき、と考える。
舞台は東大病院の無菌治療室。JCOの作業員として20シーベルト(今やこの数値が何を物語るか
わざわざ説明する必要はないだろう)の放射線を浴びた35歳の男性。
入院時は意識もはっきりしていた。しかし、事態は11日目ごろから急転する。
「こんなの嫌だ。このまま治療をやめて、家に帰る。帰る」
「おれはモルモットじゃない」
致死率100%ー文庫の口絵にある右手の変化の写真が痛ましい。
そして、被曝によって生命の設計図である染色体が崩壊してしまう画像。
まさに、朽ちていく染色体、朽ちていく「いのち」なのである。
このような事態に至って、治療行為、延命にいかなる意味があるのか?
医師、看護師の葛藤に関する記述が重い。
男性がなくなった後、主治医は記者会見でこう述べる。
「原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。
責任ある立場の方々の猛省を促したい」
私たちは、この事件から教訓を得たのだろうか・・・・答えは否である。
<協力会社>という形で作業されている方々の環境。
線量計がない、だとか、長靴がない、といった報道に接するにつけ、暗澹たる気分になる。
そしてなにより、元請の会社に対する怒りを覚える。
日々、このような報道に接するたび、上記の疑問を抱かれる方は是非一読されたい。
今日も福島では「直ちに」影響が出るレベルで作業されている方々がいることを想起しながら。
すぐに、増刷が望まれる本である。
虎の巻 低線量放射線と健康影響―先生、放射線を浴びても大丈夫? と聞かれたら
私は、どちらに立つのか?
もちろん、低線量放射線は健康影響に良い。 もっと低線量放射線の恩恵を人々は受けなければいけない。 そういう考え方です。
しかしながら、放射線防御と放射線ホルミシスの両方の視点から記述されており、自分自身で取捨選択できる内容です。 放医研の立場からは、「こういう意見か」と、肝心なとろこになると「今後の研究を見守りたい。」と、現状で評価できないところは、はっきりと、そう書かれている。
放射線防御と放射線ホルミシスのどちらの立場に立とうと、一度は読んでほしいですね。
「玉川温泉は放射泉」、「この製品で確実に低線量ホルミシスが実現する」と、HPに書きたてる前に・・・。
近畿大学からお借りになった図に誤植があります。
1.オーストラリア → オーストリア
2.図表上の単位の間違い。
トリセツ・カラダ
これは良い本です。
シンプルかつ無駄がない。
科学的であり、非常に気持ちよく知識が頭に収納される感じでした。
自分も小学校高学年にこういう本を読んでいたら、違う人生が開けていたかもしれません。
己を知ると言うことは世界の仕組みを知る第一歩でしょう。
でも、子供から東大生まで自分の体の地図を書ける人は少ない。
科学的に知るということは、最もリーズナブルに安心を得ることだと思いました。
そして何よりこれから無限の可能性が広がっている子供たちに読んでほしいと思ったのは、自分の体というものが途方も無い精密機械のごときものであり、現代科学をもってしても100億円を投入しても人為的には一体すら合成することはできない尊いものだということを知ることができる点です。
一言で言うなら、命の大切さを学ぶに当たって本書はまたとない教材だと思いました。
AIの件も、筆者の正義感、医師としての高い倫理観から出る情熱ゆえと思えました。