作家の猫 (コロナ・ブックス)
余談ですが・・猫の名前のセンスって大事だな、と感じました。
裏表紙の室生犀星のジイノ、手あぶりする姿がとっても愛らしい。
薄い本ですが、レイアウトがすっきりしていて変なやりすぎ感もなく、構成も飽きずに読め、さらに読み応えがあってよかったです。
要望を言えば、もっとたくさんの作家を登場させていただきたい・・、「続・作家の猫」を希望。
BSマンガ夜話 ガラスの仮面 -美内すずえ- [DVD]
面白さは★五つだと思います。でも時間が短い!
ガラスの仮面は60分じゃ語りきれないと判断して、
-★しました。
岡田斗司夫さんの発言がおもしろい。
岡田さん曰く「月影先生はコスプレ」らしいですよ。
マンガはなぜ面白いのか―その表現と文法 (NHKライブラリー (66))
「漫画学」などと、むつかしく考える必要はないと思う。
それより、むしろマンガの実作者の方で、コマが上手く割れないとか、マンガって何なんだ?とか悩んでいる方に一読をお勧めしたい。
他のレビュアーの方も指摘している通り、夏目氏の著作としては、別冊宝島の「マンガの読み方」が断然イチオシだが、「マンガの読み方」と併読するテキストとしては本書も悪くない。視線誘導や圧縮開放といった理論も、たとえば美術出版社から出ている「マンガのすき間」などより、はるかに平易に解説されている。この辺りの夏目氏の本を精読すれば、もうマンガ解析のツールは手に入ったも同然なので、後は自分の気に入ったマンガなどを、そのツールを用いて解析してゆけば良い。私は夏目氏のセオリーをさらに応用発展させることで、長年謎のままだった少女マンガのコマ割りの解析に成功した。
今まで漫然と眺めているだけだったプロの漫画家のコマ割りの技術の本質が見えて来た時の嬉しさは例えようもないものだった。
竹宮恵子は「マンガ言語」という呼び方をしているが、こうして解析された紙面構成の技術はすぐにでも自作に応用の利くものであり、これを豊富に持てば持つほど、自身の技量は向上してゆく。
「コマ割りのやり方は人それぞれでセオリーなどはありません」と嘯いていた美術出版社の本とは比較にならないほど、有益な本である。
漫画家志望者で、まだマンガの描き方が良く分からないという方、まずは何をおいても、夏目氏の著作を読むべし。
BSマンガ夜話 童夢 -大友克洋- [DVD]
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さよならもいわずに (ビームコミックス)
ギャグマンガを描く作家の多くは活動期間が短い。インパクトのある作品を描いた作家ほどそうだ。当たり前だと思う。ギャグマンガ家は、その才能を削るように作品を描くからだ。ギャグマンガ家として生き残っていくのは本当に大変だ。
そのような中、執筆歴が四半世紀を越す上野顕太郎がいまだギャグマンガ家として第一線で活動できるのは、きっと彼が、四六時中、ギャグのネタ、表現方法、ギャグマンガの可能性etcを考えているような人だからだ。ウエケンはギャグマンガ界の「求道者」といえる。
もちろん、才能に負うとこともある。寡作であることを許容している出版社との関係もあるが、もっとも大きな理由はこれだと思う。
きっと、本質的にはとても真面目な人なのだ。
だからこの作品に「エッ!これがあのウエケンの作品なの?」という意味での驚きはなかったが、絵から、そして文章から読み手に伝わってくる著者の喪失感は尋常ではない。僅かに描かれているギャグですら痛々しさを感じてしまう。まえがきで著者が「おいしいネタ」と書いていることもそう思えてしまう。
たしか、菊池寛が大衆小説(いまであればエンタメ)を「人に喜んでもらうもの」、純文学(私小説)を「自分が書きたいことを書いたもの」と定義していたような気がするが、この作品はまさに純文学だ。
筆者は、再読の際文章だけを読んでみたのが、極端な言い方をすれば、絵がなくとも文章だけで作品が成立していた。普通ありえないことだと思う。もしかしたら、マンガとしてあってはいけないことなのかもしれない・・・。
しかし、それでも、この作品はマンガとして素晴らしいと思う。文章が絵を邪魔していない。絵が文章で補強されると同時に文章が絵で補強されているのだ。もちろん、マンガ(絵)でなければ成立しない表現が数多くある。例えば200〜202pだ。特に、202pはある程度文章で説明しなければ著者の心中を表現することは難しいが、マンガ(絵)であれば一発だ。
例えば、母の遺影を見ながら泣く娘を見て何も声をかけない著者の行動、新しい家庭(たぶん再婚したのだろう)をつくってからの連載などについてあれこれ考えてみることはできるが、自分も含めて同じ立場に立ったことのない者がそれを否定することはできない。
ほかにも書かれている方がいたが、筆者も、最愛の妻を亡くした著者が、その喪失感から立ち直り新たな一歩を踏見み出すために描かれたこの作品を、読者は描かれたことを深読みせず、一人の人間の「再生」として黙って受け入れれば、それでよいと思う。