私は貝になりたい スペシャル・コレクターズ・エディション (初回限定生産) [DVD]
映画で初めて「悲しすぎて泣けない」を体験しました。
涙が出ません。エンドロールが流れ出してやっと、我に返って涙があふれました。
本当に衝撃的なラストでした。ああいった終わりになるとは、わかっていたのに…主人公が手紙を書き始めたあたりから、何かが抜け落ちたようにボーッとして、頭がからっぽになっていました。
私はショックを受けていたんだと、後から気付きました。
私自身、戦争映画をあまり観た経験がないからかもしれませんが、この映画から学ぶものがたくさんありました。観たあとのあの虚無感こそ、戦争を表しているんじゃないかと思います。
役者さんについてですが、演技力の高い方が多く質の高い映画になっていたと思います。
特に石坂浩二さんの演技が素晴らしかったです。中居さん演じる主人公の部屋を去ろうとしたときの、怖れと諦めと僅かな期待が篭められた「じゃ」には心が震えました。
物語に直接関係あるシーンではないかもしれませんが、是非観てみて下さい。
一つ、引っ掛かりを覚えたのは主題歌です。
ミスチルは好きですが、この映画にはあの曲はミスマッチだったと思います。映画に入り込んでいた気持ちが、歌が耳に入った途端、強引に現実に帰されたみたいでした。
そのためエンドロールで我に返り、涙が溢れたというわけです。(それを狙っていたとしたらすごいですが)
SUPERMARKET FANTASY [初回限定盤:CD+DVD]
デビューの頃のミスチルを少年期とするなら、
その後、思春期、青年期、成熟期を経て、
今や円熟期といったところでしょう。
ただただ前向きに、夢を信じ人を信じ、笑顔で駆け抜けた少年期を経て
自分をはじめとした
人類の醜さ・凶悪さから目をそらさずに受け止め傷つき
人生の儚さ・自分の小ささに、涙ぐみながら歩いてきた、
そんな思春期を経て
生きていることの素晴らしさや、世界の眩しさを悟り
どうしようもなく気持ちが揺さぶられ、胸が詰まる幸せに涙し
決して人類の醜さや、人生の儚さを忘れたわけではないけれど、
慈愛や赦しの感情を覚え、器が大きくなり
それさえも愛することが出来るようになった、
そんな青年期を経て。
そして、愛することが体に馴染み、当たり前になり
だからこそ、大げさな賛美歌ではなく身近な賛歌を歌うようになった、
そんな成熟期を経てきた。
今や愛することはもちろん、全てを前向きに捉え笑顔を絶やさず
でも時には(舌を出して)下を向いてみたり
難しい事を考えるのはやめて、羽目を外したりする、
そんな円熟期だと思う。
それは、愛することが当たり前になった大人だからこそ成せる技であり、
そんな円熟された愛が、今作には自然な形で表現されている。
デビュー当時の明るさとは違うと思うし
深海やDISCOVERYの頃とも違って当たり前だと思います。
色んな顔があって当たり前。
私は中学の頃から17年間ファンですが、
人間、円熟期からが面白くなってくるところ。
これからもずっと応援していきたいと思います。
ごくせん2008 DVD-BOX
親子でごくせん大好きですが、やはり最初のシリーズが一番好きです!!
松潤もかっこいい〜〜〜^^息子2人も最初の分がお気に入りで、飽きるまで
又しばらく見そうですね^^;購入してよかったです!!
仲間由紀恵フォトブック『仲間由紀恵』 (タレント・映画写真集)
今日届きました。 私の場合、TRICKの山田奈緒子の時が一番好きなのでした。 でも今回の写真集を見て、着物姿の仲間さんはより美しく可愛く、女性としての強さもありました。 京都でのプライベートショットも、今までのドラマや映画の仲間さんよりも魅力が大きかったです。 こんな女優はめったにいないのではないでしょうか、と思います。
私は貝になりたい―あるBC級戦犯の叫び
「私は貝になりたい」という言葉の意味。そして、昭和30年代には、この作品をもとにしたテレビ・ドラマ(主演フランキー堺)が制作されていたということくらいしか知らなかったので、驚きの連続だった。
まず、そもそも原題が「狂える戦犯死刑囚」だったということ。そして、著者は「全部がフィクションととってもらっては困る」とはじめに記しているものの、一応は手記の形式をとるフィクションの体裁をとっていること(当然自身の経験をもとにしたものだが)。初稿では「貝になりたい」ではなく「カキになりたい」だったこと。更にはテレビドラマの著作権を巡り、著者を原告とする訴訟が提起されたいたことなどである。
著作権紛争の経過資料として主に訴訟資料が掲載されているのだが、それを読むと、悪く言えば偏執的な性情も見え隠れしているのだが、それ以上に著者のこの作品に対する並々ならぬ想いが伝わってくる。
この本は約260ページなのだが、「狂える戦犯死刑囚」という作品自体は20ページ足らずの短さである。ほかは、著者の家族宛手紙や戦争に関する論文、そして前述の訴訟関係資料が大部分を占めている。だから、全体的なまとまりには欠ける。著者の左寄りの思想に共鳴できない部分もある。
しかし、戦争犯罪人として一方的に連合国(=アメリカ)に死刑を宣告され、生還した著者の記す言葉、綴る文章はあまりにも重たい。
戦争に負けて戦勝国によって裁かれるということはどういうことか、そして、B.C級戦犯とは一体何なのか。この本によって考えさせられることは多い。