若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)
本書は著者のアメリカの大学での講義内容をもとにして、日本で行った模擬講義を成文したものである。
吉行淳之介、安岡章太郎ら戦後に活躍したいわゆる「第三の新人」6人の短篇をテキストにして、小説の読み解き方を読者とともに考えてゆく構成である。文中に大まかなあらすじが記載されているので、テキストを読まずとも本書の趣旨を汲むことは出来るように配慮されている。
作家としての視点と深い考察は、読了後にテキストを読んでみたくなるほどの説得力を持っている。
冒頭には、文庫のための序文として、著者の短篇小説への関わり方を率直に語った文章が掲載されており、そちらも大いに興味深い内容である。
また巻末には、本文で紹介された作家の経歴だけでなく、手に入りづらくなったテキストを探すための案内もまとめられており、大変親切である。
女ぎらい――ニッポンのミソジニー
ミソジニーという概念そのものは、フェミニズムを少しかじった人間にとっては目新しくもなく、(レビュアーの一人が指摘しているように)ジェンダー論についての新しい視点を期待して読むとがっかりするかも。だいたい、ミソジニストとして最初に出てくるのが吉行淳之介だもんね。いまどき吉行淳之介なんて読む人いる?ただ、フェミニズムはその歴史的役割をほぼ終えたのではと思ってた私にとっては、いまだに女性蔑視が再生産され続けていることを認識させてくれたという意味で、価値がある一冊だった。例えば、最近のいわゆる「性的弱者」や「非モテ」援護論に潜むミソジニーとか。(この場合の「弱者」は必ず男のことだよね。よーするに彼らは、「我々にも人並みにおんなをよこせ」と言ってる訳だ。)女性の社会進出の進展と少子化の影響で、母親が娘に「息子」としての期待と「娘」としての期待を過剰に押し付けるが故に、母娘の関係が病的に歪んでしまうことがあるとか。今までフェミ論に縁がなかった人にとっては、目からうろこがいくつか落ちること請け合い。
名短篇、ここにあり (ちくま文庫)
オビに「北村薫と宮部みゆきのお薦め12篇」とありましたが、わたしのように文学作品に詳しくなく、ひいきの作家も特にいない読者にとっては、本書のようなアンソロジーはとても有難いです。
初めて読む作家が多かったのですが、練達の筆致で描き出される作品は、どれも巧みな語り口で物語世界の中へといざなってくれる。素朴な小品が多いので、やや物足りなく感じる読者もいるかもしれませんが、小説を読む楽しさを改めて感じさせてくれるような、味わい深い短篇が揃っていると思います。巻末の、収録作品をめぐる北村、宮部両氏の対談も、作家ならではの読み方がうかがえて、とても面白い。
全12篇の中から、いくつか特に印象に残ったものを挙げると―
城山三郎「隠し芸の男」は、新年の宴会でへそおどりの隠し芸を毎年披露してきた銀行員の話で、一見ユーモラスな中に、身につまされるようなやるせない読後感を残す。
吉村昭「少女架刑」は、一人の少女の遺体が献体に出され解剖されていく様が、少女の魂を介して語られていく。繊細さと生々しさがない交ぜになったような特異な作品で、寂寞とした哀しみが滲み出てくる。
多岐川恭「網」は、恋人と別れさせられた男が企てた計画殺人の顛末を描いた娯楽サスペンス。一幕のドラマを見ているような作風で、短篇ならではのコンパクトな面白さがある。
戸板康二「少年探偵」は、小学生の<足立君>が、なくなった物の在り処を次々に言い当てていく話で、子供の心が巧みに捉えられた、愛着をおぼえる一篇。
井上靖「考える人」は、一体の木乃伊(みいら)をめぐる考古ミステリーのような趣があるしみじみとした作品。主人公の男は、かつて旅先で目にした印象的な木乃伊との再会を期して、仲間と東北へフィールドワークに出かける。そして木乃伊となった男の生前に思いを馳せていく。
円地文子「鬼」は、ある女性の結婚の行く手にいつも<鬼>が介在して邪魔をするという、オカルト的筋立ての怪奇譚。目に見えない呪詛の怖さがじわっと醸し出されてくる一方で、女性の幸せな生き方への問いも感じる。