直立猿人
とかく難解(本人が相当気難しかっただけのような気がしますが)と言われるミンガスですが、イメージは猿から二足歩行になり、人間となった生き物がとんでもないことをしでかしている、といわんばかりのメッセージが感じられる一枚。そういう意味でのコンセプトが強く感じられるし、たまたまジャズという方法で表現しただけ、そんな気にさせる一枚です。彼の作品ではかなりのヘヴィローテで聴きまくった時期がありました。
黒人であることの鬱屈、コンプレックスの塊のような頑固者だったそうですが、かのカーター大統領から文化功労かなにかでミンガスがなくなる少し前に勲章(表彰?)を受けたときに男泣きしたのは有名な話。やっと認められた、という実感がそうさせたのでしょうか…。
ベーシストとしてベースのみに徹しない、音楽をかなり鳥瞰的にとらえたミュージシャン、後世に与えた影響も大きく、これは代表作のひとつといっても良いぐらい聴きやすいと思います。
Charles Mingus Presents Charles Mingus
1960年10月20日、ニューヨーク、ノラ・ペントハウス・サウンド・スタジオで録音。スーパーバイザーとしてナット・ヘントフのクレジットがある。ミンガスの自伝『敗け犬の下で』を読むとナット・ヘントフに電話している場面が何度も出てくる。ナット・ヘントフはミンガスにとって精神的に重要な存在だったのが分かる。
聴き出すと分かるのだがどの曲もミンガスから『一言あってから』始まる。耳をそばだてると最初は『音楽の邪魔になるから酒を呑んだり音を立てたりしないでくれ』と言っているようだ。まちがいなく本作はスタジオで録音されているので、このコメントはアルバムを聴いているぼくらに対して言っていることになる。前代未聞だ。このアルバムを発売しているキャンディド・レーベルの録音はほとんど全てこの1960年10月20日に録音されているので、この『演説』はキャンディド・レーベルの録音全てにおける共通認識にもなる。
言ってみればこの1960年という年にミンガスは燃えさかっていたのだ。音楽の演奏では伝えきれない部分を言葉にしたり、唸ったりしている。
一方で若きエリック・ドルフィーのプレイが聴けるこのアルバムはいい。この録音の前の1959年11月、ファイブスポットに出演していたオーネット・コールマンのライヴをここでプレイしているテッド・カーソンとエリック・ドルフィーを連れ、ピアノの前に座って聴かせたようだ。そして、『ああいう風にやってくれないか。』と頼んだらしい。ドルフィーののちのちのプレイにはその時のミンガスの『希望』が生きている気がする。
ジャズ・カントリー (文学のおくりもの ベスト版)
「ジャズ」とタイトルにありますが、
ジャズをまったく知らない人や興味のない人でも、
思わず引き込まれてしまいます。
これは普遍的な青春の物語です。
進路を決めかねて悩んでいる若者はぜひ読むべし!