日本語教室 (新潮新書)
井上ひさし氏の日本語への関心と愛着が滲み出る講演録。氏の語りに乗せられ、すぐに読めてしまう一書。但し、氏の日本語論をこれまでにも読まれてきた方には、新味のある見解が登場する訳ではないこともあり、正直物足りないのではないでしょうか。(まして、「伝説の・・・」というのは、悪しき商業主義でしょう。)
個人的には、「権利」や「自由」の本義がこの国に未だ正確に理解されず定着に至らないのは、それが仏教用語や中国語からの借用(それぞれの原義は「力ずくで得る利益、権力と利益」そして「我が儘勝手のし放題、思うまま振る舞う」であるとのこと)であり、マイナスの含意を包摂しているためであるとの議論(100〜103頁)や音節(=母音と子音の結合)の少ない日本語では必然的に同音異義語が(従って駄洒落も!)多くなることの指摘(142頁、145頁や151頁)などは、勉強になりました。
「チョムスキーさんの変型生成文法の根本的な考え方は、このS、O、Vという基本は赤ん坊でも持っているということなんです。世界というものがあって、自分というものがある。この二つ、OとSは必ず存在していますから、それを結び付けるVというものが必然的に生まれてくる。生まれてこなくてはならない・・・。・・・ その基本が、それぞれ自分の置かれた言語環境によってさまざまに生成を遂げていくということなんですね」(168頁)。
「大野説を一言で言ってしまうと、既知の旧情報には「は」を、未知の新情報を受ける場合は「が」を使うということです」(174頁)。
それにしても、「三階」を「さんがい」と呼称する(146〜7頁)のはよいとして、では何故「二階」が「にがい」にならないのか、その説明がほしかったのは私だけでしょうか。
この人から受け継ぐもの
井上ひさしさんが吉野作造、宮沢賢治、丸山眞男、チェーホフについて著作からその人なりを語りつつ、最終章では「笑いについて」と題してジョン・ウエルズ、アリストテレス、ルイ16世、スクリープが提供した笑い(井上さんの解釈による笑い)を紹介しています。
前の3人については講演をまとめたものなので、語り口調な文体ですが、あとのチェーホフ、笑いについては井上さんの執筆を再収録したものです。
どの章についても井上さんらしい視点で語っているので非常に分かりやすいですが、井上さんの分野(劇作家)と近しいチェーホフについての章と「笑いについて」のスクリープ(劇作家)の章が、個人的には面白かったです。
自分の体験・創作との比較がベースにあるからなのかもしれませんが、井上さんが非常に評価していることが分かります。
前半3人についても面白いのですが、どちらかというと各々の著作を論じるよりも、その方々の半生を語る中で著作の位置づけを語っている印象でした。
今となっては、懐かしい井上節ですが、このような形で他の方々を評したものを読んだことがないので、新鮮で面白かったです。
井上さんファンにはお薦めの一冊です。
私家版 日本語文法 (新潮文庫)
訃報を聞いた後にふと読み返しました。とにかく楽しくてためになる。ぼくはこの本と著者の「文章読本」で夏目漱石の偉大さを理解したかもしれません。それに、この時代の作家さんたちの日本語がとても好きです。この本を読むと言葉についていろんなことを考えてしまいます。中国以外で漢字を使う国が日本だけになってしまいました。世界的に見ても表音文字と表意文字のハイブリッドはちょっと珍しい。(ちなみに漢字を「入力」できるというのは効率性を急激に上昇させたんじゃないだろうか?)もし、過去にさかのぼっていけるとして、僕たちの日本語はいつの時代まで通じるだろうか? 明治時代?江戸時代?戦国時代はどうだろう?などなど