眠れる美女 (新潮文庫)
川端康成にこんな作品があったとは。艶と色で充満している本書。性の奥深さを日本人の感性で描ききった傑作です。ガルシア=マルケスが「わが悲しき娼婦たちの思い出」のヒント本だそうです。そちらは未読の為なんともいえませんが、本書から漂うなんというか湿った、障子に映るほのかな蝋燭の明かり、というかそういう質感や空気感を出すのは難しいと思う。そういう意味で本書はオリジナリティにあふれた日本人の感性による「生」と「性」を描ききった傑作であるのである。
摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)
永井荷風という作家。一言でいうとこんなに自意識過剰な男で大丈夫?っていう感じがします。この通称「日記」にしても、実は人に後世読まれる事を意識して書かれている訳ですし。本当にここに書かれている通りだったのかなあ〜???って疑ってかかるのは、天野ジャック?
フランス帰りで、お坊ちゃまでお金にも困っていない。麻布辺りの「偏奇館」なる洋館に独居され、夜な夜な浅草辺り、銀座辺りにお出かけする慶應大学文学部教授兼作家先生。それで十分スノッブ100%日本文学に於ける「嫌な男、とんでも男」ベストテン赤丸急上昇中。でも、この「作品」を読むと、そうした一見クールな外見にも拘らず、自ずと滲み出るなんともいえないシャンソン風演歌風センチメンタリスムを、生まれながらの雅文調漢文調リリシズムで泣かせる事しきり。
敗戦の朝、空襲で焼け出された荷風が親戚から分けてもらった炊き出しの白いおにぎりを手に、或る時代の終わりを語る時、にんじんを齧り、こぶしを振り上げ「もう2度と飢えはしない!」と誓ったスカーレット・オハラに重ね合わせてしまうのは私だけでしょうか?私だけですよね。やっぱり。
ご存じ 島津亜矢名作歌謡劇場
もともと亜矢さんの台詞には、いつも感動していたのですが、「お初」は亜矢さんの歌唱を聴いたことがなくとてもCD聴くのが楽しみでした。
・・・すっ すばらしい!!期待を裏切らない、とても切ない亜矢さんの歌声、そして台詞に涙しました。
「おとこ歌」の亜矢さん、「おんな歌」の亜矢さん、どちらの亜矢さんが好きな方にも、大満足の一枚です!!
藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)
さすが文豪、と読み終えて感じる一冊である。ドラマ化され話題になった『真珠夫人』は収録されていないが、菊池寛のおいしさを味わうにはむしろこちらの方がおすすめできる。どの作品も読みやすく、「文豪」という言葉から連想してしまうような小難しいものではない。誰もが持っている嫉妬や恨みなどの感情を、普通とはちょっと異なる角度から、時には皮肉を効かせて描くあたりがうまい。その昔教科書に収録されていたという『恩讐の彼方に』など、素直に読んでそれなりに感銘を覚える作品もある。初めて菊池寛を読む人に特におすすめ。
ドキュメンタリー 頭脳警察 [DVD]
あの伝説的ロック・バンド『頭脳警察』。ロックが若者の反抗、社会批判を、過激で暴力的な表現で代弁していた昭和40年代半ば、PANTAとトシにより結成された彼らは、赤軍三部作といわれる「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃を取れ」の、赤軍派に触発された曲を演奏し、他の曲もラジカルな批評性の元に、日本語歌詞により独自の世界を作り上げ、ロックの中でも突出したバンドとして、圧倒的に支持されていた。彼らの演奏は世界に先駆けたパンク・ロックだったのだ。昭和40年代の終焉と共に解散したが、節目節目に再結成と解散(自爆)を繰り返している。
その『頭脳警察』のドキュメンタリー映画である。3部構成で、合計5時間15分もの大作だ。2006年から2008年まで、PANTAのバンド活動から頭脳警察の再始動に至るまで、彼らに密着して撮影されたものだ。先回りして言ってしまおう。この映画は頭脳警察が存在する時代のドキュメンタリーであり、再始動・頭脳警察のプロモーション・ビデオであり、頭脳警察・再始動のメイキング・ビデオである。そしてその背景には「戦争」という各々の時代の刻印が、はっきりと浮き彫りにされているのだ。
1部は結成から解散までの軌跡を、映像やインタビューを交えて纏めている。
2部は従軍看護婦として南方に派遣されていたPANTAの母親の軌跡。そして重信房子を介してのパレスチナ問題への関わりが中心となっている。優に二本分のドキュメンタリー映画が作れてしまう内容だ。
3部は各々のソロ活動から頭脳警察再始動に向かってゆくPANTAとトシ、そして白熱の京大西部講堂での再始動ライブへ。
ベトナム戦争から、赤軍派の世界革命戦争へのシンパシー。大東亜戦争当時、病院船氷川丸での母親の軌跡を、船舶運航記録によって、戦前戦後を通底する時間軸に己が存在する事を、PANTAが確認する辺りは圧巻である。そして中東戦争とパレスチナ。現在のイランなどに対する「対テロ戦争」という名の帝国主義戦争。なんとオイラと同じPANTAの世代は「戦争」の世代ではないか。
頭脳警察はその政治性によって語られる事が多い。しかし、本来はその存在や演奏自身がより政治的な意味合いを持っていたのだ。その事を自覚することにより、PANTAは「止まっているということと、変わらないということは、違うんだよ」と言うのだ。重信を通してパレスチナ問題に関わることを、落とし前を付ける、と言うのも、かつて赤軍三部作を歌い、赤軍派にシンパシーを感じた自分自身に対することなのだろうと思うのだ。